2016年12月31日土曜日

人生のサイクル

 
今日でこの一年も幕を閉じます。また明日から新しい一年が始まります。考えて見ると保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学とすべて一年単位で進学、進級して来ました。一年という単位が一つのサイクルであったことがわかります。

社会人になると給料をもらうのは1ヶ月単位というサイクルに変わりますし、人事異動ということになると4月と10月という半年単位のサイクルに変わります。仕事に関しては出勤から退勤までという一日で仕事を片付けるというサイクルになります。土日が休みという職場では、1週間が仕事のサイクルになることも多いと思います。

退職したとたんにそのサイクルが無くなると体調管理が難しくなります。サイクルがあるということは、知らない間に生活のリズムを作っているのです。自由時間ばかりだといつでも出来ると思って、今やらなければならにという気持ちがなくなります。それが良くないということがわかりました。

お寺の仕事というのは、大半が掃除と荘厳と事務仕事です。その間に法務があるという感じですから、普段はルーチンワークと言ってもいいと思います。行事は年間で組まれているものがほとんどです。一般参加タイプのイベントは週、月単位に行なわれているようです。

人生のサイクルは乳児期、幼児期初期、幼児期、学童期、青年期、成人期初期、成人期後期、老年期となるようですが、その中にもいろいろなサイクルがあります。多くのケースで3年が一つのサイクルという見方が定着しているようです。いわゆる種まき、育成、収穫という考え方です。皆さんにとって2017年はどのサイクルになるのでしょうか。

2016年12月30日金曜日

年賀状を出し続けて50年以上

 
やっと年賀状の番になりましたが、プライベートも含めて約400枚です。手書きで対応しようとすれば、丸二日はかかる量です。中学生くらいから年賀状を出していた記憶がありますので、軽く五十年以上出していることになります。お寺は喪中はがきという風習はありませんので、家族が亡くなっても年賀状を出します。家族に変動があったことを知らせる年一回のたよりです。そのため祝意を表す文面ではありません。

仏教では生れて来たものには必ず死が訪れるもので、忌み嫌うことではないと考えます。お釈迦様も親鸞聖人も嘆き悲しむなと言われています。特に浄土真宗では、死は浄土に往って生まれるということで、往生といいます。さとりを開いて仏になるということです。


そもそも喪中はがきというものが始まったのは戦後のことで、一般的になり始めたのは昭和40年代と言います。マナーとかルールではなく風習ですのでしばられる必要はありませんが、几帳面に出される方が多くなりました。お寺の年賀状はお経の一文であったり、親鸞聖人の和讃を使わせていただきますので喪中の方にもお出ししています。

貰われた方は驚かれるかも知れませんが、仏教には忌中や喪中という考えはないので、正しく知っていただくいい機会だと思っています。忌中や喪中には「穢れ」の意味が入っていますので、どちらかというと神道に近い考え方だと思います。ですから仏教でも○回忌と言わずに○回会と言い換えたほうがいいのではないかと思っています。


2016年12月29日木曜日

年末モード

 
年末年始に向けて買い物に出ましたが、どこも年末モードで大賑わいです。普段と同じことをしようと思っても車が多すぎて時間がかかります。食品売り場もお正月商品が幅を利かせていて、値段も高めになっています。灯油売り場は行列となり待ち時間が出来ています。

12月になっても雪が降らないのでその分楽ですが、年が明けたらドカッと来るのではないかと心配しています。年末はお寺にもたくさん参られます。一年間お世話になりましたとお布施やお供えを持って来られる方もお見えになります。こういう時に何かお渡しできるものとしてハンドタオルとかお線香を用意しているのですが、もっとしゃれたものを考えたいと思っています。

お参りされる方の中にもお墓や納骨堂ではなく、本堂で手を合わせられる方があります。みなさん心が落ち着くと言われます。そのためには華を絶やさず、堂内を清浄にしておく必要があります。年末は普段できない掃除をしなければなりません。昔は長時間本堂にいると凍り付いていましたが、今はエアコンがあるので、お磨きも快適に出来ます。

年が変わると言っても人間が勝手に決めたことで、何かが変わるわけではありませんが、一つの節目ということで年内に済ませたいと思うのも分かります。元旦からは三日坊主でもいいので、新しいことにチャレンジする気持ちも大事です。三日坊主も積み重ねれば一ヶ月にも一年にもなります。

残り二日間何が残っているのか分かりませんが、皆さん頑張って下さい。私は年賀状と掃除がまだです。

2016年12月27日火曜日

人はなぜ悩み苦しむのか

 
掲示板に相談できるお寺ですと書いたら、それを見て相談に来る人が少しづつ出て来ました。当たり前といえばその通りですが、普通の家に張り出しても、まず来られないでしょう。お寺だから解決してくれるのではないかという期待を持って門を叩かれるのでしょう。お寺はそういう力をまだ持っています。

相談でも他人をどうにかしたいという場合は、まず解決策はありません。他人の心を変えることは出来ないからです。自分の考えを変えたり、自分が変わることは可能ですから、それによって悩みや苦しみが解決することはあります。

子どもがなく夫婦二人の生活を送っていらっしゃった方でしたが、最近ご主人を亡くされたということで、今の生活に悩んでおられる様子でした。三時間以上かけてゆっくりお話しをお聞きしました。最後に本堂にお参りしましたが、本堂という空間の持っている力はすごいと感じました。お帰りの時には眼の輝きが違っていました。

お釈迦様は人が悩み苦しむのは、思い通りにならないことを思い通りにしようとするところから生まれるものであると言われています。まず、物事をありのままに受け取ることが大切だと言われます。自分の思い通りにしようとするのは、自分の目で見、耳で聞いたことを重視し、それに基づく価値判断をするからです。つまり、自分勝手な見方しかしないからです。

そうは言っても自分は自分だと云われるかも知れませんが、変わらぬ自分なんかはどこにもないのです。様々な影響を受けてコロコロ変わっているのが自分の姿です。その姿がわかればもう悩むことはありません。今は受け入れがたい現実でも、それを受け入れることにことによって、時が解決してくれるでしょう。時は妙薬なのです。

2016年12月26日月曜日

ダークウェブ

 
どこの世界にも闇の世界があるということは知っているつもりでしたが、違法な取り引きが盛んに行なわれていて、いくら検索しても見つからないネット世界のサイトがあるとは思いませんでした。googleやyahooで探しても見つからないということです。また、インターネットエクスプローラーなどの普通のブラウザではたどり着くことが出来ません。

以前院家日記でも取り上げたことがありましたが、2012年に遠隔操作ウイルスで複数のえん罪を生み出した事件がありました。犯人がなかなか特定できなかったのは、「Tor」というソフトを使い海外の複数サーバーを自動で経由し匿名化することで、IPアドレスなどから利用者の所在がわかりにくくしていたものです。

ダークウェブもそういう仕組みを使って誰が犯罪行為の当事者であるかがわからないようにしています。ここでは非合法な販売が日常的に行なわれています。以前タックスヘイブンに関与している企業や個人名がパナマ文書としてネットサイトで公開されましたが、タックスヘイブン自体は違法ではなく、道義的に見てどうかという問題でした。

しかしダークウェブでの情報は違法なものがたくさんありますので、そのデータが漏れればたちまち逮捕につながることもあります。実際にダークウェブにある不倫クラブの情報が洩れて自殺に追い込まれた人も複数いましたし、薬物取引で逮捕された人もあります。

ダークウェブと聞くとどんなものか興味を持つ人がいると思いますが、いくら匿名性があるといっても、いつかはバレるものです。中には登録しただけで犯罪となるものもあります。危ないものには近づかない方がいいと思います。くれぐれも気を付けましょう。

2016年12月25日日曜日

犬と人間の違い

 
お寺の留守番犬リラが来て、もう5年が過ぎました。食事は日に2回で、散歩をしてウンチを1回して過ごします。毎日元気に見えますので、体調の変化に気付くことはありませんが、実は人間と一緒で、体調は毎日変化しています。

はじめての方には必ず吠えますが、10歳以下の子供には吠えません。何度か来ていただくと吠えなくなります。井戸で水をくまれたりして、目的がお墓参りだとわかると吠えません。自分の縄張りをどこからどこまでと意識していて、50メートル離れた駐車場であっても吠えます。

このように知能レベルが高い犬ですが、人間との決定的な違いがあります。帰りが遅くなるときに朝食と夕食を一緒に出すと、いくらこれは夕食用だといっても全部食べてしまいます。つまり夕食用にストックしておくということが出来ないのです。

犬には将来自分がどうなるかを予測する能力はありませんが、人間にはあります。そしていつかは自分も死ぬ運命にあることを知っています。知る方法は二つです。一つは自分の先祖が誰も生きていないということです。そしてもう一つは自分の体が確実に老化していることがわかるからです。死ということを科学的に知らなくても、経験的に体験的に予測するわけです。

人間は4才~7才のころに死を理解するといいます。死はショッキングな出来事ですので、このころの心のケアは大切です。病気で余命を宣告された場合、絶望感に陥ることが予想されます。実際に自死する人もあります。ではなぜ人間はそれを克服出来ているのでしょうか。つまり、どうせ死ぬのになぜ生きるのかということです。

答えは簡単です。日常生活の中では、死ぬことを忘れているからです。いつも死のことを考えていたのでは、生きられないということで、脳がそういう大切なことを忘れるように出来ているらしいです。人間はいつも目先のことを考えるように出来ています。

井上陽水の「傘がない」という歌も端的にそのことを表しています。考えなければならない大切なことがあるけど、今、問題なのは雨なのに傘がないということであるという歌です。ずっとそうであれば悩むことはないのですが、年老いてくると目先のことより死のことの方が比重を増して来るので、悩む日が多くなるというわけです。