2017年7月31日月曜日

墓地の草取り


当山は墓数が90基ほどの小さい墓地ですが、境内建物や駐車場を除くと200坪ほどの墓地となっており、雑草が一面に生えています。参道にはコンクリートが打ってありますが、ほうって置くと両側から雑草が侵入してきます。毎年5月末に門信徒の皆さんの奉仕活動で墓地の草取りをするのですが、盆前にはまた雑草が生い茂ってしまいます。今年は盆前に、もう一度草取りをしようという話しもあったのですが、あまりにも暑さが厳しいので、例年通り市のシルバー人材センターさんにお願いしました。

タイミングよくお二人の総代さんが見えられ、草取りをしておられるシルバーさんに感謝しておられました。もう10年以上お願いしているベテランさんですが、昔は二、三人で二日かかっていましたが、今は整地が進んで二人で一日になりました。コンクリートで舗装するという方法もあるのですが、それだと水を吸いませんし、輻射熱があって墓地全体が高温になります。そこで墓と墓の空間を「がんこ真砂」という多少セメントの入った密度の高い土で整地し、草を生えにくくする作業をここ4年ほど行なっています。

今年は整地の場所をもう少し広げようということで、8月8日に「がんこ真砂」を使った舗装作業を行うことになりました。これが出来れば墓地の約半分が草の生えないところになります。暑い中での作業となりますが宜しくお願い致します。
 

2017年7月30日日曜日

コンクリートの寿命



当山の墓地にある墓の土台はコンクリートのものがまだいくらか残っていますが、多くはひび割れたり剥離欠損しています。コンクリートはセメントに砂と砂利と水を混ぜたものですが、寿命は大体50年から100年と言われています。竿に使われているのは御影石ですが、御影石は数百年持ちますので、どうしても土台部分が先に壊れてしまいます。

最近の墓は土台部分も石が使われていますので丈夫で長持ちです。昭和40年代ごろまではコンクリートの土台が多いようです。ですからリフォームで土台部分を石に替えられる方もあります。一度墓を解体しますのでかなりの費用がかかるのが欠点です。

ところがここで常識を覆すコンクリートがあることが分かりました。それは古代ローマ帝国時代のコンクリートです。古代ローマ帝国が滅亡してから1500年以上経つので、ローマにあるコンクリートでできた世界最大のドームは、約2000年経った今でも強度を保っています。不思議なことですが、このコンクリートの謎が解明されつつあります。

古代ローマのコンクリートは、火山灰、石灰、火山岩、海水を混ぜ合わせて作られています。この珍しい材料の組み合わせによって、1000年かけて新しい科学物質を発生させ、強度に貢献しているそうです。この当時は考えられないほどの人手をかけて作りあげたそうですが、現代では手間がかかり過ぎて現実的では無いようです。このコンクリートはCO2も削減できるようですので、手間の部分が解消出来れば夢のコンクリートになる可能性があります。
 

2017年7月29日土曜日

お盆の宅参り順が決まりました

お盆は修行のない浄土真宗にとって一つの修行です。修行をどうとらえるかによって違いますが、要は自分を鍛える場です。浄土真宗は在家仏教ですので、私たち僧侶も皆さんと同じ生活をしています。僧侶だからといって、皆さんより一歩上の段階に達しているわけではありません。私は仏教や真宗のことを勉強はしていますが、悟りを開いているわけではありません。生きて行くとはどういうことかということを身に染みて感じています。

お盆の宅参り順を決めることは、結構大変な作業です。毎年初盆のお宅は変わりますので、昨年と同じ順番というわけには行きません。また新しく門徒になられた家庭もありますので、それも入れ込まなくてはなりません。

とりあえず順番を作って皆さんに通知しますが、その通りには行きません。必ず日にちを変えて欲しいとか、時間を変えて欲しいとかの要望が出て来ます。それを最大限尊重しながら、日程を組み替えます。それで盆の日程は決まりですが、一人で回り切るわけには行かず、当山の場合は2班に分けます。私と息子で手分けして回ります。大きなお寺だと何人もで手分けして回ることになります。

大変そうですが、流れに乗れば考えることが無いので、そんなに大変ではありません。人というのは環境順応性があります。一度慣れてしまえば苦にならなくなるのです。

決まったことをやることより、家庭生活を乗り切る方がよっぽど大変だと思います。

2017年7月28日金曜日

鳥取県共済生活協同組合創立60周年


 

 
今日鳥取共済の創立60周年記念祝賀会が開催されました。関連団体や協力団体に交えて歴代役員として呼んでいただきました。確かに役員として担った時代もありましたが、大半はプロパーとして活動していました。

昭和47年から平成20年までの在籍ですが、その間に全労済への事業統合とホテル事業の独立という大きな出来事がありました。振り返って見ますと、2000年前後の凝縮された3年ほどがすべてであったような気がします。サラリーマン生活36年ですが、この頃の経験が今になって生きている気がします。

人生いろいろありますが、自分のすべてをかけることの出来た時期が、一番輝いていた時だと思います。人生は長いようですが本当に輝ける時期は一瞬です。その時は分かりませんが後になって振り返ると分かります。一生懸命になっている時は手を緩めず頑張ることが大切です。あの時頑張っておけば良かったと思っても遅いのです。今現役で頑張っている人は、そのことを覚えておいて欲しいと思います。
 

2017年7月27日木曜日

これから政治はカオスの世界に

今年に入ってから安倍政権が揺れ続けています。午後から今井絵理子参議院議員の不倫報道があったかと思うと、続いて民進党蓮舫代表の辞任会見、続いて稲田防衛大臣の辞任会見が続きました。不倫報道については、またかという感じですが、週刊誌に報道され証拠の写真も撮られていたので最後は観念したという感じでした。やはり人は最初から真実を話すことは出来ないのですかね。

民進党も都議選の惨敗を受け幹事長が辞任し、執行部人事がどうなるかと思われていた時だけに、蓮舫代表の辞任は少し意外でした。また、稲田大臣の辞任も、これまで野党の辞任要求を突っぱねており、8月上旬には内閣改造が行われるということもあり、このタイミングでの辞任は意外でした。まあ、人事というものは見えない部分が多くあり、我々が見ているのは氷山の一角ですからね。

自民党も信頼を失い、民進党は過去の失敗から立ち直れずということになると、都民ファーストが名前を国民ファーストに変えての出番かも知れません。しかし過去を見てもブームでのし上がった政党は、引き潮とともに消えて行く運命にあります。政治もまた諸行無常の世界であると考えると納得が行きますが、人間は煩悩で生きていると思えばそれもまた納得出来ます。

これからどう流れて行くのか予想は付きませんが、生きている限り見届けることは出来ます。
 

2017年7月26日水曜日

犬との時間

朝から孫を預かっていたので、孫のペースに合わせてゆったりと過ごしてみました。基本的に小さい子供は自己中心的な行動をとります。水遊びが楽しいということを覚えたら、風邪の治りかけであることなど関係なく、全身水浸しになるまで遊び続けます。風邪がぶり返したら大変とこちらは止めるのに必死です。他のことに興味を持ってもらわないと困るので、犬の力を借りることにしました。犬は自分より力が弱いものには向かって行こうとしませんが、飼い主が赤ちゃんばかりかわいがると嫉妬して、赤ちゃんに嫌がらせをする場合があります。ですから、幼い子と一緒の時は、犬も同じようにかわいがってやることが必要です。

三者の中に一定の信頼感が生まれれば、子どもが毛に逆らって撫でたとしても、犬は知らん顔でされるがままになっています。決して威嚇することなどはありません。ずっと犬といるといろんなことが学べます。犬は暑いからといって文句を言いません。日陰の涼しいところを選んで寝そべります。暑いときには動き回ったりせず、省エネスタイルを貫きます。人間は夏には冬を恋しがり、冬には夏を恋しがって環境を変えようとします。そのままでいることに耐えられず、夏は涼しく、冬は暖かくしようとします。その結果地球を壊してしまいます。

犬は寝たいときに寝て、腹が減ったら餌を食べ、散歩も時々します。縄張り意識も強く、自分のテリトリーに知らないものが入ってきたら吠えて飼い主に知らせます。吠え方も微妙に変わります。危険人物と判断したときは吠え方が変わります。知っているけど嫌いな人。めったに来ない人。二度目の人など吠え分けているのが分かります。
人間はあるがままを受け入れるために大変な修行をしますが、犬は何もしなくても、あるがままを受け入れています。


2017年7月25日火曜日

腹の立つことに腹を立てていてもしょうがない

世の中には自分の生き方と違う生き方をしている人がほとんどです。中には自分が受け入れられない神経を持っている方もおられます。そういう人を見たとき「許せない!」という気持ちを持つことがありますが、そういう時はどうしたらいいのでしょう。

私のフェイスブックの先生である樺沢紫苑さんが良いことを言っておられます。自分から見て許せない生き方をしている人は、実はあなたにとって「どーでもいい人」なわけです。そんな人のことを考えるのは時間の無駄。それに腹を立てるのは、感情とエネルギーの無駄だそうです。

そこにいくら時間を使ってもあなたの成長には結びつかないし、給料も増えないし、人生も楽しくなりませんね。これは真理だと思いました。

この考え方は、釈尊の毒矢の例えや形而上学的なものに対する対応の仕方とそっくりです。もっと大事なことに時間を使わないで、結論の出ないことに時間をかけてどうするんですか。あなたにはもっと大事なことがあるでしょうということです。

これは見逃しがちなことです。肯定も否定もしない関わり方が出来るようになれば、悟りに一歩近づいたと言えるかも知れませんね。