2016年11月1日火曜日

本:ブッダと法然

新潮新書の「ブッダと法然」を読んでいます。両者を比較しながらそれぞれの人物像に迫って行こうという手法ですが、読みやすくわかりやすい本です。法然上人の出家の動機は、父の菩提を弔い、自らは己の解脱のつとめるということにあったようですが、15歳という若さでした。

純粋に仏道を追い求める法然にとって、比叡山の表舞台は自分たちの名誉栄達にうつつを抜かす俗世と同じでした。そこで18歳で真に道心あるものが集う比叡山の裏舞台、西塔の黒谷に再出家しました。法然は18歳で遁世してから43歳で回心するまで25年の長きにわたり黒谷で引きこもりの生活を続けました。

法然は自己洞察の厳しい人であり、自分自身が持つ悪の存在に驚愕し嫌悪感を持っていました。自力でさとる従来の聖道門では自分が解脱出来ないことを自覚していました。「三学非器」と言われた所以です。戒・定・慧の三学は全体で仏教の修道大系を表しています。

あるとき経蔵で善導の「観経疏」を読んでいると「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近念念不捨者是名正定之業 順彼佛願故」(一心にもっぱら阿弥陀仏の名号を称えて、何時いかなることをしていても、時間の長短にかかわらず、常に称え続けてやめないこと、これを正定の業というのである。それは阿弥陀仏の本願の意趣に適っているからである)という一文に出会って回心したのです。その後、夢での善導との邂逅、大原の勝林院での有名な大原問答での勝利によって浄土宗が世の中に認められたのでした。

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