2017年9月5日火曜日

本願寺派の葬儀規範

先代の時代は得度を受けたと言っても、今のようにCDDVDがあるわけでもなく、作法もだんだんと自己流になって行きます。市内数ヵ寺の住職が勤め合いをしていましたので、いつの間にか因幡流の葬儀や法事が出来上がっていました。鳥取市で多数を占めていた曹洞宗や浄土宗の葬儀が一般的になり、法名ではなく戒名、三奉請ではなく四奉請が主流でした。

 現代は本願寺派の葬儀規範というものがあり、得度習礼、教師習礼でもしっかり叩き込まれますし、最低でも年に一回は山陰教区教務所主催の勤式作法を習うことが出来ます。多数の僧侶が集まってもきれいにそろえることが出来ます。日本中どこに行っても同じ葬儀・作法で勤められるようになりました。言って見れば方言が無くなり全国標準語になったようなものです。

神宮寺の高橋卓志住職は、葬儀の実践で「100人の人生があれば100通りの別れ方がある」ということで、地域の慣習と宗派の固定概念である定番の葬儀を離れ、その人だけの葬儀を作り上げておられます。そこには大変な労力や努力が隠されています。
 現状ではなかなか本願寺派の葬儀規範から離れることは出来ませんが、故人や遺族が望まれる葬儀が理想だと思います。ただやみくもに「どんな葬儀を望まれますか」と聞いても遺族が答えられるわけはないので、僧侶が一緒に話しをしながら積み上げていけばいいと思います。その手間が大切なのだと思います。

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