近年お寺離れが叫ばれていますが、一番の原因は核家族化と少子化です。お寺の責任ではありません。ただし、二番目はお寺に魅力が無くなったことだと思います。これはお寺の責任です。
一般論ですが、その声を拾い出しますと次のようなことが言えます。
1. お経の意味がわからないので、有難みを感じることができなかった。
2. 法話もないので、法要に出て良かったねという実感がなかった。
3. 焼香のたびに遺族のお礼が必要だと言われたので、悲しむことも出来なかった。
4. 法話があったが、夢物語のような話しで、現実の生活に役立つようなものではなかった。
5. 住職の生活態度からして尊敬の対象になっていないので、話しを聞いても感動出来ない。
これはほぼ住職の責任と言えます。努力して出来ることは最大限すべきだと思います。ここをクリアすれば、寺離れは致命傷になるほど広がらないと思います。
葬儀の小規模化が進んでいますが、大ホールを使う葬儀は存在します。都会ではその多くは新宗教だそうです。新宗教はその人の生活実態をよく知っており、例えば難病のためのセミナーを開いたりします。その人に寄り添った活動を重視しています。そして同じ病気で苦しんでいる人のネットワークを作ります。
そうすると、葬儀が発生した場合には、ネットワークの近くに住む人は、その葬儀に全員が参加すると言います。大ホールはそういう葬儀で使われるのです。今となっては新宗教には違和感があるとは言えません。実態があるからです。伝統仏教も今のままでは、新宗教に凌駕されかねないと思います。今こそ仏教頑張れの時代です。
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