2017年7月8日土曜日

どんなお寺にしたいのか

朝から日程が詰まった一日でした。10時から初盆を目前にされたご門徒さん宅での入仏式、11時から本堂で33回忌の法要、14時から火葬場での火屋勤行への参列、四十九日法要を控えたご家族との打ち合わせ、納骨施設安穏堂の申し込み対応などが続きました。合間を縫って寺だより42号分の印刷をしていますが、寺報を残すというのは今までの歴史が良く分かっていいですね。どういう人たちと一緒にどんな活動をしてきたかということが一目瞭然です。

今日のお話しの中で葬儀社に支払った費用の話しが出ました。最初に聞いていた話しと違うということもあり、少し不信感をいだかれていた様子でした。門徒さんが通夜葬儀にお寺を使われることは推奨すべきことですが、加入されている葬儀社によっては自社の会館を使うことを前提に料金が決められているところもありますので、注意が必要です。よくわからない場合は所属するお寺さんにお尋ねください。
葬儀をお寺で行なうということは、どういう葬儀をしたいのかということを事前にしっかりお寺と相談することが必要です。ご住職もどういう葬儀をやりたいという希望を持っておられると思います。そこをすり合わせしないと満足できるものにならないかも知れません。これからはどんな葬儀をしたいのかやどんなお寺にしたいのかなど住職としてのメッセージを発信して行きたいと思いました。
 

2017年7月7日金曜日

お寺仲間の死

昨夜同宗ご住職の急死という訃報が届きました。昨秋に続いて五十代半ばでの往生です。鳥取因幡組にとってもこれから一番力になっていただく年代ですので、残念です。御文章の白骨の章を思い起こさせます。まさに「無常の風きたりぬれば……」です。

葬儀を勤めさせていただいている身ですから、そのまま受け止めなければならないのですが、うろたえてしまいます。このご住職には私の継職式と前住職の葬儀で法要を取り仕切る会奉行という大役を担っていただきました。彼の差配がなければうまくできなかった法要でした。

昔ながらのお寺の行事をを大切にしながら、その中に新しい風を吹き込んでいく活動をされていました。本堂に行きますと毎朝のお勤めで和讃の繰り読みをされている様子がうかがえました。普通は経本に載っている六首ばかりを読むのですが、本山並みに毎朝和讃を変えて読まれるのです。なかなか出来ることではありません。それから随分早くから本堂を使っての葬儀をしておられました。最近は寺院葬をされるところも少しづつ増えていますが、鳥取因幡組の中では一番早かったのではないでしょうか。私はこの年代のときは仕事オンリーで、お寺のことはほとんどやっていませんでした。彼が若いときから積み重ねて来たものは鳥取因幡組にとっても、大きなものがあります。それを継承しながら仏道を歩んで行きたいと思っています。
 









 
 

2017年7月5日水曜日

植え付けられていた葬儀感覚

サラリーマン時代は、仕事中心であまりお寺の手伝いはしなかったのですが、一緒に住んでいたのでお寺の様子は分かっていました。転勤してからはホテルの再建が任務だったのであまり家に帰れませんでした。両親も年を取り掃除が行き届かなったようで、ご門徒さんから直接苦情を言われたこともありました。お寺は清潔清浄にしなければ価値が半減してしまいます。毎日のお寺の掃除は大仕事です。

かなり前の葬儀でした。珍しく自宅での葬儀となりました。葬儀社の方を頼んで、葬家・私・葬儀社の三人で打ち合わせをしました。葬儀社の担当者は式の進行についていつも通り代表焼香、弔電奉読などの説明をしていましたが、葬家の方が次のように言われました。「代表焼香するっておかしいと思います。家に来ていただく方は全部平等です。代表する人なんていないので、代表焼香など止めて下さい。近くに座っている人から順番に焼香するようにして下さい。」「それから弔電は私たちがもらったものですから、私たちが大切に読ませてもらいます。他人に披露するものではありません。」

今まで何も感じずに葬儀社に言われるままに次第を進行していたことが恥ずかしくなりました。私は遺族の気持ちを考えずに葬儀をしていました。この時の出来事は私にとって衝撃でした。

それ以来、お寺でやる場合は、可能な限り代表焼香なし、弔電奉読なしの葬儀をしています。やはり何事も本質を見極めなければならないと思いました。なんのために葬儀をするのか。誰のために葬儀をするのか。他のことも原点に帰って考えたいと思います。
 

2017年7月4日火曜日

龍谷大学での受講

「寺よ、変われ」の著者でもあり、そのほかにも「チェルノブイリの子供たち」「奔僧記 知らぬが仏じゃいられない」などの著作がある高橋卓志さんの講義を受けました。10時45分から90分授業を3コマ受けましたし、途中の昼休憩も質問していましたので、計6時間くらい受講したことになります。学生時代は真面目に授業を受けた記憶がありませんが、この度は真剣でした。勉強はしたいときにすれば、これほど効率のいいものなのだということが分かりました。

40年の積み重ねで得て来られた「お寺とは躍動出来る場である」という体験を惜しげもなくすべて見せるという態度は何処から来るのだろうかと思いました。やる気さえあれば、この充実した体験をみんなも味わえるのだよということではないかと感じました。若い人たちへのメッセージでもあると思いますが、すべての僧侶への投げかけであるのでしょう。

龍谷大学の授業であるため、学生一人一人の置かれた状況を知ったうえでそれぞれに合ったアドバイスを送るということを大切にしながらも、人としても僧侶としても根底は変わらない大事なものがあるということを伝え続けて来られたように思います。

自分自身の転機も語られましたが、自分を変えてくれるような圧倒的な死の体験は誰もが経験できるものではありません。最後は自分でつくって行くものだと思いました。私の場合はそういう決定的な場があったわけではなく、臨終勤行での積み重ねが大きかったように思います。すべてがお膳立てされた会館葬でのお勤めでは、意識改革など出来るはずがないのは全く同感です。私が変わらなければならないという気持ちになったことについては明日書きたいと思います。
 

2017年7月2日日曜日

庶民の気持ちは

藤井四段の30連勝をかけた戦いと、都議選の開票が同時進行でした。藤井四段は結果的に中盤の劣勢を跳ね返すことが出来ませんでしたが、自民党は終盤のポカを取り戻すことが出来ませんでした。藤井四段はこれをバネにして更に精進すると思いますが、自民党はどうなのでしょうか?

保守王道の自民党と言えども、おごりから来る失態が続けば負けるのは火を見るよりも明らかです。今回の結果で一番感じるのは、これだけ謙虚でいなさいと言われ続けたのに、有頂天時代が続くと人間はどうしても脇が甘くなるということでした。安倍さんのやり方は守りに弱いと思いました。佐々木五段の玉寄せの妙手は安倍さんには無理なのでしょうか。

誰が見ても分かるように、安倍さんはお友達を大切にします。これも必要なことですが、自分のために働くのか、党のために働くのか、国民のために働くのかということを考えた場合、自分のためかなあという感じがします。
動かない水は腐るように、いくら良い人物であっても同じところに留まると悪い面が強く出て来ます。今回で政治の流れが変わると思いますが、難しいのはこれからの都民ファーストの進み方です。勝って兜の緒を締めよという言葉がありますが、その通りだと思っています。

2017年7月1日土曜日

今年も異常気象

今年も半分が終わってしまいました。7月なので暑いのは仕方ないですが、雨が降らなくて湿度が高いのは困りものです。我が家のキュウリとトマトは毎朝水やりをしていますので豊作ですが、草木は水分不足で、もう一つ元気がありません。太平洋側は大雨洪水警報が出るなど大変ですが、日本海側は空梅雨です。このまま梅雨が明けてしまうと、数年前のように地面が干からびて、枯れる木が出て来るかも知れません。

あるいは梅雨明け直前に今までの分を取り戻すかのように、集中豪雨が来るかも知れません。天気は太古の昔から人間の思い通りにはならないようです。

ヨーロッパからロシアにかけては、この春以降、極端な悪天候が繰り返されていますが、6月30日ロシアの首都モスクワで非常に激しい嵐が発生し、豪雨や落雷、突風が吹き乱れ、そして雹(ひょう)までも各地に降り洪水が発生するという激しい気候状況となりました。この様子では、この夏もロシアからヨーロッパはかなり激しい気候に見舞われることになりそうです。写真は6月30日にモスクワを襲ったダウンバーストの様子です。