2017年3月7日火曜日

寺院・僧侶に関する生活者の意識調査

一般社団法人お寺の未来が昨年12月にインターネットを通じて行なった「寺院・僧侶に関する生活者の意識調査」 のアンケート結果を公開しました。一万人のアンケートですから、信頼度があります。地区別集計もあり、山陰地区の集計もありますので、ありがたいです。ただ人口が違いますので仕方ないですが、全体の65%が関東、近畿、東海になっていますので、結果は都市部の意識が濃く表れていると考えることが出来ます。

いろいろなことに対してその解決を寺院・僧侶に求めるという人は少数です。お寺にそういう役割があることを知らない人もあると思いますし、普段の接触がないため相談しにくいということがあるかも知れません。調査所見では、「仏教の智慧に根ざした生き方についての教示」などの潜在的な期待があると言っています。その期待に応えるためには、僧侶自身が普段から研鑽し自分を磨いて置かなければなりません。

いままでお寺を支えてきた家族形態は、世代が一緒に居住しているというものでしたが、これからは単身世帯が多くなりますので、伝統的アプローチだけでは、お寺を維持して行くことは困難になります。若い方がお寺に関心を示すのは、体験系催しものという結果が出ていますので、そういうイベントでお寺に来てもらい、法話で仏教の智慧に根ざした生き方を伝えることが出来れば若い人の足を向けることも可能です。

お布施のアンケートについては、厳しい結果が出ています。これからは、年金生活者が増えて来ますし、サラリーマンの生涯賃金も減少傾向にあると言われます。お布施による収入は減ってくると考えた方が良いようです。



2017年3月6日月曜日

魔性の言葉「みんな」

毎日新聞日曜版の新・心のサプリを楽しみに読んでいます。心療内科医の海原純子さんの書かれているコラムです。このたびは「みんな」という魔力について書かれていました。誰もが親にモノをねだる時に使った「みんなが持っている」という言葉。本当は仲良しの数人しか持っていないのだけど、みんなというと親が許してくれるのです。

会議で最初に誰かが意見を言い、同調する人が何人かいると、自分もその意見だったように錯覚し、みんなと同じになってしまうといういう事を経験しました。あまり良くない傾向だと感じたので、最初に意見を言うようにしました。でも、同じような意見がたくさん出た後で、それらを含んだ別の角度からの意見を言う人を見て、すごいなと思っている自分がいました。

経験を積んでからは、後からでも違った意見を言えるようになりましたし、最終着地点を見据えた意見も言えるようになりました。そこになるまでには時間がかかりますし、進歩のない人もいますので、多数を占めるであろう意見を言う人は、今でも怖い気がします。

職場でも真っ先に帰るということは出来ませんでした。みんなが仕事をしているのに、自分だけ帰ることは出来ませんでした。今考えると、みんながそう思って帰らなかっただけかも知れません。大した仕事もないのに、残っていたことが確かにありました。本当はそんなときに勇気を出して、一番に帰っていたら良かったのでしょう。多様性という意味では、へそ曲がりも必要なのですね。
 

2017年3月5日日曜日

子供たちが参加する法要



 
今日は二件の法要をお勤めしました。二件とも子供たちがお参りしてくれていました。子供たちが参加してくれていると法話にも思わず力が入ります。法要の邪魔になってはいけないと考えられて、大人だけで参列されることがありますが、子供たちが少々騒いでも参加して欲しいと思います。

退屈でぐずってしまう場合は、気分転換に客殿で本を読んだり、輪投げをしたり、積み木をすればいいと思っています。出来るだけ法要の雰囲気を感じてもらいたいと思います。

ひと昔前はどこの地方でも祭りがあり、親戚を呼んでご馳走を食べたものです。たくさんの夜店が出て、ふだんは買えないお菓子を買うのが楽しみでした。そんな祭りも次々と姿を消し、親戚が集まることもほとんどなくなりました。いまや親戚一同が会するのは葬儀や法事の時だけとなりました。葬儀や法事に子供たちが参加しなければ、親戚のおじいさんやおばあさん、おじさん、おばさんを知らないままになる可能性があります。親戚一同を見ることで自分もこの一族の仲間なのだという帰属意識が高まり、不思議と勇気が出て来ます。これだけの親戚が支え合っていると感じると心強いものです。

当山では、子供たちに参拝記念として仏教伝道協会が出版している「ブッダがせんせい」を贈ることにしています。私たちが読んでもためになる本だと思います。在庫が無くなるくらいたくさんの子供たちにお参りして欲しいと願っています。
 

2017年3月4日土曜日

今こそ仏教頑張れ!

私のところは小さいお寺ですが、今日は法事が三件ありました。なぜか午前中が無くて、12時と13時と16時でした。お寺でのお斎が2件ありましたので、客殿だけで対応できず門徒会館も使いました。大きなお寺は、こんなことは日常茶飯事でしょうから、大変だなあと思います。

近年お寺離れが叫ばれていますが、一番の原因は核家族化と少子化です。お寺の責任ではありません。ただし、二番目はお寺に魅力が無くなったことだと思います。これはお寺の責任です。

一般論ですが、その声を拾い出しますと次のようなことが言えます。

1.      お経の意味がわからないので、有難みを感じることができなかった。

2.      法話もないので、法要に出て良かったねという実感がなかった。

3.      焼香のたびに遺族のお礼が必要だと言われたので、悲しむことも出来なかった。

4.      法話があったが、夢物語のような話しで、現実の生活に役立つようなものではなかった。

5.      住職の生活態度からして尊敬の対象になっていないので、話しを聞いても感動出来ない。

これはほぼ住職の責任と言えます。努力して出来ることは最大限すべきだと思います。ここをクリアすれば、寺離れは致命傷になるほど広がらないと思います。

葬儀の小規模化が進んでいますが、大ホールを使う葬儀は存在します。都会ではその多くは新宗教だそうです。新宗教はその人の生活実態をよく知っており、例えば難病のためのセミナーを開いたりします。その人に寄り添った活動を重視しています。そして同じ病気で苦しんでいる人のネットワークを作ります。

そうすると、葬儀が発生した場合には、ネットワークの近くに住む人は、その葬儀に全員が参加すると言います。大ホールはそういう葬儀で使われるのです。今となっては新宗教には違和感があるとは言えません。実態があるからです。伝統仏教も今のままでは、新宗教に凌駕されかねないと思います。今こそ仏教頑張れの時代です。
 

2017年3月3日金曜日

波乱の春がやって来ました

3月に入り一気に鳥取の中も動き始めた気がします。雪のため延期になっていた法要や会議も次々に復活しています。何より冬から春になるということで、皆さんの気持ちが前向きになっています。おそらくこういう気持ちは、雪の降らないところに住む人にはわからないでしょう。

病気から回復した時に健康のありがたさがしみじみ分かるように、雪のない生活がこんなに快適だったことがわかります。雪国の方が春を待つ気持ちが、今回ほど分かったことはありませんでした。

今日は仏教婦人会の役員研修会があり、鳥取因幡組を代表してあいさつをして来ました。挨拶というより、どちらかというと、3月26日に開催する公開講座の宣伝でした。講師の天野和公さんは、檀家ゼロ、本堂なしの状態から、ご主人と二人でお寺をつくった方です。その時はたまたま、うまく行きましたが、他の方にはお勧めしないそうです。その奇跡に近いお話しを聞くことが出来ます。

他県の方に言わせると、焼鳥屋のようだと言われる「とりぎん文化会館」の第一会議室で行ないますので、200名は入れます。何とか満員にしたいと思っていますが、2月の除雪による負担が時間だけでなく、体力も奪っていて準備が進んでいません。今月は、法事もたくさんありますが、人形劇場や連研、彼岸法要、決算準備、寺だより発行、執行部会開催など行事も盛りだくさんです。

世の中も波乱含みで動き始めました。アメリカ、マレーシア、北朝鮮、中国、韓国から目が離せませんし、国内に目を向けますとやはり築地と豊洲と言いたいところですが、波乱の中心はやはり永田町です。こちらも目が離せません。 



2017年3月2日木曜日

防災ヘルメット


最近北海道から九州まで各地で地震があり、なんとなく嫌な気持ちがしています。日本に住んでいる以上、大きな地震に遭遇することも覚悟しておかなければなりません。昨年は町内の自主防災会で地震から身を守る研修をしましたが、その5日後に震度6弱の鳥取県中部地震を体験しました。研修の内容を反芻する間もないくらいのタイミングでした。本当に地震は時と場所を選びません。 

間もなく東日本大震災で尊い命を失われた方の七回忌がやって来ます。テレビでの衝撃的な映像は、忘れることが出来ません。津波とはこれほど恐ろしいものかと思いました。鳥取市服部というところに津波橋という名前の橋があります。海岸からは3キロ以上離れていると思います。昔は何でこんな名前がついているのだろうと思っていましたが、今はわかります。 
 
町内の副会長をして9年目になりました。このたび町内では、全世帯に一個づつヘルメットを配ることにしました。市の補助金を利用しますので、町内の負担は軽くて済みます。地震による被害を見ますと、一番多いのが上からものが落ちてきてケガをしたり、押しつぶされたりすることです。逃げるにしても、頭を守らなければなりません。そのために防災グッズとして、今回はヘルメットを選びました。 

注意したいのは、ヘルメットにも耐用年数があるということです。今回購入したものはFRPで出来ています。船体などにも使われているFRPはガラス繊維などの繊維をプラスチックの中に入れて強度を向上させたものですが、それでも5年くらいで交換することが必要です。見た目は何ともないので、そのまま使えそうですが、いざという時に頭を守ることが出来なければ意味がありません。 

一人に1個必要ですので、それ以上は町内で斡旋したいと考えています。2,000円で命を守ることが出来れば安いものです。

 

2017年3月1日水曜日

お見送り司会者の独り言

お見送り司会者の独り言というブログがあります。クリックしていただければそのブログにたどりつきます。司会者から見たお寺や僧侶について、2月下旬にお寺さんシリーズとして4回連続で書かれています。その2回目に僧侶の貴族意識について的確に触れられています。内容はこんな感じです。

葬儀社に入っておかしいと感じたことの一つに、葬儀社の社員が、お寺さんに必要以上に気をつかっていることだそうです。そしてそういう接し方にお寺さんが慣れてしまって、自分が偉くなったように勘違いしているというものです。

具体的な例としては、車から降りたときに、社員は当たり前にカバン持ちをし、雨が降っていれば傘を差しかけるというのです。ある時その方がいつものようにお寺さんの差し出すカバン二つを持っていたところに、おそらく参列者であろうおばあさんが、重そうな供物を持ってよたよたと歩いていたので、カバンを30代くらいの僧侶に返し、おばあさんの供物を持ってあげたというのです。カバンを持たされたことに対し、僧侶はかなり怒っていたそうですし、上司からもその行動を叱られたそうです。

その方は、僧侶がお酒飲もうがお肉食べようがギャンブルしようが若いお姉ちゃんが好きだろうがそんなの全然気にならないそうです。同じ人間だから、お寺さんも煩悩にまみれて生きて何が悪いと思っていただいているようです。

ただし、お寺さんである為の資質があるとしたら、それは人としての「優しさ」であり、人を思いやる事の出来る温かい心だけは絶対持ってなきゃ僧侶を名乗る資格はないと言われています。

確かに私も葬儀社の会館に出かけて行って通夜や葬儀をするとき、社員の方に出迎えられ、カバンをお持ちしましょうかと尋ねられます。私は自分で持ちますといってお断りしています。参列者用の経本を持っており、さらに雨が降っているときなど手が足りない時はお願いすることもありますが、カバンが持てないほど年をとっているわけではないので、自分で持つことにしています。

気を遣っていただくことは有難いのですが、葬儀社の方が仕事なら、こちらも勤めですのでお互い様だと思っています。

こういうブログがあることで、普段どう見られているかがわかり、有り難いことです。

【残念ですが2月下旬に書かれた4回のブログ記事は削除されています。理由は不明です。】