2017年1月14日土曜日

得度申請がありました

私のところの県外居住のご門徒さんが、得度を受けるための申請書を持って来られました。お家は曹洞宗でしたが、仕事柄教誨師の話しを聞く機会が多くあり、浄土真宗の教誨師の話しに感銘を受けられ退職後は教誨師の道に進みたいと浄土真宗僧侶への道を目指すことにされたそうです。 

得度するためには浄土真宗のお寺の門徒となり、得度を受けることに対する住職の同意が必要となります。同じ道を志す仲間が増えることは歓迎すべきことで、どこのお寺でも受け入れてもらえそうな気がしますが、一概にそうとは言えません。お寺には賦課金という本山や中間組織に対する上納金の負担があります。門徒数などを基準にして決まっていますが、所属僧侶の数によっても賦課金が変わります。僧侶の数が多いほど、門徒数が多いほど賦課金は上がります。 

寺院によっては負担が多くなることを避けたいところもあり、僧侶希望の方を受け入れられない所もあります。私のところは賦課金が高くなることより、仲間が増え、そのことによって救われる方が増えることを望みます。この方が僧侶になられると、当山の僧侶は四名になります。
 

今年の彼岸会か報恩講の時には、四人そろって読経出来ると思います。今からその日が待ち遠しく思います。

2017年1月13日金曜日

司馬遼太郎の十六の話


司馬遼太郎の十六の話という文庫本があります。エッセー風の十六の話しが納められています。司馬遼太郎は歴史小説家と見られているようにNHK大河ドラマの原作となった作品も六点あります。

この本の中にも書かれているように、司馬遼太郎は浄土真宗の家に育ったようです。親鸞聖人についても「当時の仏教は歴史を経るにしたがって垢がついてしまったように感じ、釈迦の仏教に帰りたいと思って勉強した人物」という風に紹介されています。

大局的に二千年近くの歴史を語っていますので、細かいところはバサリと切り捨て、わかりやすい本になっていますが、場合によっては小説のように司馬風になっており、面白く読めます。たた、大きく分かれる意見がある場合でも、片方を切り捨てていますので、実証性という意味ではお薦め出来ません。

名も知られていない一人の人物に焦点をあてて、その行動を分析し評価を高めるような手法は彼ならではのものかも知れません。曲がりくねった歴史をまるで道路を作るように直線にし、見晴らしの良い姿にしていますので、小学校時代にこのように歴史を教えてもらっていたら、歴史が好きになっていただろうなと思います。

高校時代まで歴史が嫌いだった私としては、司馬遼太郎が先生だったら日本史の点数ももっと良かっただろうと思います。正しい年代や細かなところは、興味を持ってからいくらでも学べます。興味を持たせるのが教師の仕事のような気がする本です。
 

2017年1月12日木曜日

写経の仲間と新年食事会



昨日写経に集われる方々と賀露の山田屋で新年食事会を行ないました。日程の合わない方もいらっしゃったので、18名の参加でした。写経会では写経だけでなく、年に二、三回近隣に出かけて食事会をします。平成二十年に始めたころは四、五人でしたからずいぶん増えました。門徒さん以外が半分を超えています。ほとんどの方が門前の掲示板を見て訪ねて来られました。 

写経を始める理由は、字がうまくなりたいとか集中できる時間を持ちたいとかがほとんどです。写経自体は自宅でも出来るものですが、自宅ですとついテレビをつけたり、電話や来客に邪魔されたりで、字を書くことに集中することが出来ません。ピンと張り詰めた中で一言も発せず黙々と写経に励む姿は他では味わえません。 

讃仏偈、重誓偈、正信念仏偈を中心に書いていますが、中には阿弥陀経、観無量寿経、無量寿経のすべてを書き終えて現在御文章に挑戦されている方があります。その方は写経ではなく、臨書です。新年になって新たに門徒外の二名の方から参加したいという申し出がありましたので、二十名を超える大所帯になります。二十代~八十代までの方がおられますので休憩中の話題が豊富です。
 
食事から帰ってからクイズ形式のゲームをしたり、ミカン取りゲームや真宗かるた大会で笑ったり叫んだりと汗だくで盛り上がりました。初めて参加された方は、毎年こんなに盛り上がるんですかとビックリされていましたが、こういう楽しみがあるから長続きしているのかも知れません。

2017年1月11日水曜日

脳科学と仏教3


釈尊が35歳でさとりをひらき、そこでさとった内容を伝えたのが四諦八正道です。四諦は四つの真理であり、第一番目の苦諦とは生きることは本質的に苦であるという真理であり、二番目の集諦は苦の原因は煩悩であるという真理です。三番目の滅諦とは煩悩を消すことで苦が滅するという真理であり、四番目の道諦は煩悩をなくすための具体的な道が示されています。具体的には八正道という方法です。

この考え方は現代の私たちが知っている医療の考え方によく似ています。健康だった人がある日突然お腹が痛くなり苦しんでいるとします。まさに苦の状態の真っただ中にあります。医師は症状を様々な角度から検討して、その原因を突き止めようとします。その結果原因がわかれば症状の改善のための処方箋を作り、実際に治療を開始します。

 ブッダの修業は瞑想が中心です。瞑想の目的は精神を集中して物事を客観的に見ることです。精神を集中するということは不要な外部の情報を遮断するということです。例えば視覚を遮断すると聴覚が鋭くなるような感じです。五感を遮断することが出来ればどういう世界が広がるのでしょう。

悲しみや不安に押しつぶされそうになった時、人は正しい判断が出来ません。自分を追い詰めてしまい極端な場合は生きる力を無くしてしまう場合もあります。そのようなときに精神を集中して自分の置かれた状態を客観的に見ることが出来れば苦から脱出出来ることになります。

一方脳科学では死の不安や恐怖を乗り越えられるのは統御感であるということが言われ始めました。統御感とは自分の体は自分でコントロールしているという意識です。無力感の反対の状態です。助手席に乗っていると他人の運転に思わずブレーキを踏む動作をしてしまうことがありますが、自分が運転しているとそのようなことはありません。自分が車を制御しているという感覚が安心感を生むのです。精神的安定が手術や薬に勝る例もあるのです。

近い将来脳科学と仏教の接点が見つかる日が来るような気がします。
 

2017年1月10日火曜日

脳科学と仏教2


昨日のつづき→目に見えたものをそのまま認識するのではなく、脳がその画像を再構成したものを事実として認識するということは、間違った情報かも知れないわけです。言い方は違いますが、仏教も脳科学も事実とは違う場合があると承知しています。再構成した時に紛れ込むものを仏教では煩悩と言っています。脳科学では補正等と言っています。 

仏教では煩悩があるから物事を歪んでとらえると言います。煩悩の代表的なものを無明と言います。無明とは物事を正しく判断できないことを言います。なぜできないかと言いますと、自分中心にしかものごとを見ることが出来ないからです。つまり自分にとって得か損かということが判断の基準になっているからです。そしてそれが苦の原因であると考えます。 

科学では人間が自分中心になるのは、仕方ないことだと考えています。すべては自分の脳で作り出している世界であるからです。自分に都合の良いように作り直しているのです。自己保存の本能が最優先となりますので、自分が生きていくのに都合のいいように受け手のレベルで作り変えるわけです。 

仏教では苦の原因を取り除く方法として、周りを変えるのではなく自分自身を変えていくという方法を取ります。一見消極的に思えるかも知れませんが、実はこれが結構積極的でないと出来ないことなのです。自分を変えるというのは、覚悟のいることなのです。明日へつづく


2017年1月9日月曜日

脳科学と仏教1


操作を間違ってこの日の文章を消してしまったので、思い出しながらもう一度書きます。

科学は自分の目から見て外にある物質を研究する学問です。仏教は自分の心の中を正しく見つめるための教えです。方向は全く別ですが、同じ理屈を原点としています。

仏教はなぜ自分は今ある姿になったのかということを出発点として、その原因を探ろうとします。科学はいろいろな現象には法則があるはずだと考え、実証を積み重ねてその法則を探ろうとします。法則があるということは、同じ原因には同じ結果があるだろうと考えることです。仏教ではそれを因果の法則と言います。

科学は自分の外側に興味を持ちます。仏教は自分の内側に興味を示します。今までは全く逆方向でした。それが脳科学という自分の体の中に目を向けたことで、仏教との接点が出来ました。釈迦の仏教は瞑想により集中力を高め、自分に染みついた癖を取り除こうとします。脳科学は、五感で知覚したものはストレートに入って来るのではなく、一旦脳で受け止めてそれを脳が再構成しているものを認識しているということを解明しました。

仏教は、私たちの認識は、エゴというフィルターを通して自分の都合のいいように受け止めていると考え、その原因は煩悩にあると考えます。煩悩の親分である無明を乗り越えるために様々な修行をします。それは万人向けではなく、それぞれが自分に合った方法を取り入れればよいと考えます。それが宗派の違いになった部分が大きいです。
 

2017年1月8日日曜日

尾崎翠への旅


スマートレターというメール便で点線面Vol.2という雑誌が送られて来ました。タイトルは「2016年尾崎翠への旅」。サブタイトルは生誕120年を迎えた孤高の作家が生み・育てたものとなっています。
全160ページのうち75ページが尾崎翠関連、23ページが鳥取関連の記事で埋まっています。

どういう人を対象にした本なんだろうと思いながら読み進めていくと、編集後記に巻頭特集は主に翠ビギナー&翠の故郷・鳥取にはまだ足を延ばしたことのないファンの方に向けてお送りしたと書かれていました。

目次の主なものを拾ってみると、・翠に反応した著名人たち・[考察]尾崎翠世界の魅力①~③・尾崎翠人気再燃の立役者とは・映画化が生んだ新たな読者層・尾崎翠全集(創樹社)書評 吉行理恵・special essay 尾崎翠とその作品の映画化、そして吉行理恵さんのこと 浜野佐知・尾崎翠ゆかりの地を訪ねる 東京編 鳥取編・尾崎翠との出会い 木村紅美など読んで見たいと思わせる記事がいっぱいです。

中でも浜野佐知監督のspecial essayは、今まで知られなかった映画化の裏話が書かれていて興味深く読みました。この雑誌でなければ書かれない内容だと思いました。特集の最終ページの直前に、養源寺での様子が記事になっています。この本を手に取る機会があれば72ページ、73ページもご覧下さい。この本の発行はポンプラボとなっています。連絡先は03-5938-7283東京都杉並区となっています。ホームページもありますが、更新されていない様子で情報はありません。