2017年12月31日日曜日

今年の振り返り

今年の手帳を眺めています。冬は大雪で大変だったのを思い出します。町内の団結力を感じたのもこの大雪でした。
そして包丁を洗っていて手を滑らし、五針縫うけがをしたのも一月でした。冬は礼子おばさんと病院通いが続きました。待ち時間にスマホを使ってhasunohaの回答をしていました。その叔母も6月4日に亡くなりました。
3月の寺子屋人形劇場は、告知不足で子供が集まらず、各劇団には申し訳なかったです。
6月には鳥取市長であった入江昶様のご遺骨を円護寺墓地から安穏堂に改葬しました。入江市長のお墓は養源寺の一等地にあったのですが、鳥取大火後の市街地整備で多くの寺院の墓地を円護寺墓地に移した時と同じく入江家の墓も円護寺墓地に移転されていました。この度墓守が困難になったため養源寺に帰ってきたものです。夏には「寺よ変われ!」の著者である高橋卓志先生の講義を龍谷大学で受けました。授業の楽しさを実感しました。
9月には、鳥取ライオンズクラブの創立60周年を祝いました。記念誌の作成はいい経験になりました。秋には母の介護が一層大変になりましたが、皆さんのおかげで何とか乗り越えられました。
お寺で通夜葬儀をするために二年前に作った門徒会館でしたが、ここにきてお寺を会場とする葬儀が八割となりました。寺族は大変ですが、ご門徒の皆様には喜んでいただいています。特に12月の三件はすべて門徒会館と本堂で行うことが出来たのは、志向して甲斐があったと思います。来年はさらに飛躍する年となりますように!

2017年12月30日土曜日

葬儀の変化

今年も残すところあと一日です。まだそんな気がしませんが、そんなことはお構いなしに時は過ぎていきます。
数日前に、お寺での葬儀が8割になったと書きましたが、最大の理由は葬儀の参列者が少なくなったことだと思っています。
小谷みどりさんの著書で、そのことが明確に語られています。ある生協で施行している葬儀参列者の変化を経年でみると、1990年代は180人、2005年は100人弱、2013年には46人となっています。15年間で四分の一になったことがわかります。
参列者が少なくなってきた最大の原因は、死亡年齢の高齢化にあります。死亡時に80歳以上だった人は、2015年には61.3%を占めるまでになりました。超高齢になると兄弟や友人の多くは亡くなっているか参列できない状態になっています。また、子どもが退職してる場合もあり、仕事関係の参列者も激減します。
さらに最近の訃報欄を見てわかるように、葬儀後の告知が増えています。
お寺での葬儀の7割が新聞での告知をされません。したがって葬儀の案内看板も不要ですし、少人数のためマイクロバスも不要になり、経費も少なくて済みます。
葬儀社の方に聞いても、いわゆる家族葬が多くなり、件数を確保しなければ経営的に厳しくなって来ていると言っておられました。
家族構成も少なくなっていますので、十人程度の葬儀ですと、祭壇も司会も不要です。これからはもっと変化してくると思います。お寺もそれに対応できる体制を作っていかざるを得ないでしょうね。
 

2017年12月29日金曜日

今年の法務は今日でおしまい

午前中に祥月命日法要、午後から一周忌の法要、夜初七日の逮夜参りを済ませて今年の法務が終了しました。明日と明後日は、法務はありませんが大掃除と元旦会の準備と年賀状作りが待っています。
毎年思うことですが、お寺には休みがありません。私のところは1941年( 昭和16年)に公布された金属類回収の勅令により、梵鐘を供出しましたので、除夜の鐘をつく行事がありません。少しは休みが取れます。
ただし、ご門徒さんがお亡くなりになった場合は、昼夜を問わず連絡して下さいと言っていますので、深夜や早朝でも連絡があります。本当の意味で24時間勤務です。お寺は同居の親族のみで運営することが多いので、家族のみの法人であり、使用者と労働者との間の明確な線引きができないため、労働基準法は適用されません。
年が明ければ元旦会です。二日からは逮夜参りが始まります。お寺に仕えるものは、インターバルの時間をいかに心地よく過ごすかが健康の秘訣です。

2017年12月28日木曜日

<ひとり死>時代のお葬式とお墓

終活問題になると顔なじみの、第一生命経済研究所の小谷みどりさんが書かれた<ひとり死>時代のお葬式とお墓を読みました。葬儀と墓に関する現在の課題が網羅的に書かれています。新書ですがまとめの本としては納得できるものです。
高齢社会という言葉は何年も使っていますが、2015年には男性も半数以上が80歳以上まで生きられるようになりました。女性に至っては90歳以上で亡くなった方が36%にまでなっています。男80才、女90才が当たり前になりました。
しかしそれに伴って認知症が増えているのも事実です。85歳以上の女性では6割近くに何らかの認知症の症状がみられます。また、長生きすればするほど経済的な困窮も増えてきます。長寿社会は、病気とお金との戦いであると考えることも出来ます。
その中で老病死への対応も難しい問題です。自分が要介護状態になった時には、どこでどのような介護を受けたいか。治る見込みのない病気になったらそれを知りたいか。余命がわかるならそれを知りたいか。どこで最期を迎えたいか。どんな葬儀をしたいか。などを考えておく必要があり、それを託す人を決めておかなければ、解決できない課題です。
しかし実際にこのような終活を行っている人はまだ一割に満たないというアンケート結果があります。これからどういう方向に進んでいくのか、国の対応が間に合うのか、深刻な問題です。

2017年12月26日火曜日

寺院は消滅すればいいという意見

お寺の側に立つと寺院は消滅してはいけないという思いが根底にあり、その方向で考えを構築しているのですが、外から見た場合は必ずしもそうではないことに気が付きます。
例えばお布施が高額になるのは、寺院の維持管理に費用がかかるからということと、住職家族も食べていかなければならないからということになります。寺院数と店舗数が近いのでよく比較されるのがコンビニです。オーナー店長がコンビニの建物の維持管理費や人件費が高騰しているので値段を上げますと言えば客が離れていくでしょう。檀家にはお寺を護る義務があるといっても、檀家制度自体が崩壊して来つつありますので、その理屈は間もなく通らなくなると思います。
家制度の崩壊はそのまま檀家制度の崩壊につながります。都会で僧侶派遣が活躍しているのは檀家制度が崩壊し、葬儀も家単位ではなく個人単位になっているからです。お寺も資本主義社会の土俵の上に乗っていますから、需要と供給の原則は当てはまります。信仰という特殊性はありますが、いままで僧侶が信仰第一の対応をしていなかったので、今更そこに頼るのは無理があります。
予測通り人口減少が推移すれば、確実にお寺は淘汰されます。残ったお寺は安泰かと言いますとそういうわけにはいかないでしょう。お布施の額もますます下がると思いますが、いつまでも下がり続けるわけではなく適正なところで折り合いがつくと思います。本堂も維持管理が大変な伽藍から形態が変わって行くと思います。今の仏具や荘厳類、法衣は値段が高すぎます。これらを維持していくのもお布施が高くなる要因の一つでしょう。取り巻くすべての産業界も変わっていくと思います。それを見るのも興味深いことです。

2017年12月25日月曜日

初七日を繰り上げるということ

鳥取県の西部地区の方に行くと、葬場勤行はご遺体ではなくお骨で勤めます。なんでも米子市は商人の街なので多忙のため長時間お参りすることが出来ないということで、火葬は先に家族だけで済ませ、お骨を持って帰って来てから葬儀をします。そして各自焼香が済み次第、帰途に着かれますので読経が終わることには、式場には僧侶のほかには誰もいないという感じです。親族は出口で会葬者にお礼を言いますので先に出口で待たれます。そして葬儀終了後はセットのように、必ず繰り上げ初七日のお勤めをします。
鳥取県の他の地区では、ご遺体を前に葬儀を勤めご遺体が火葬場に向かうところをお見送りして葬儀が終わります。最後に還骨のお勤めをして、臨終勤行から始まった一連の葬儀が終了します。時折初七日を当日にお願いしますという方もあります。勤めることもありますが、その場合でも本来の初七日のお勤めはさせていただきます。
聞くところによると、葬儀当日に四十九日まで済ませるところもあるようですが、四十九日経ったから意味があるのであって、葬儀当日勤めても意味をなしません。どうしても参列できない方には、開始日時をお知らせしてその時間に鳥取のほうを向いて手を合わせていただいたほうが理にかなっていると思います。
世の中には時の経過で気持ちも変わり、その時になってわかることがたくさんあります。いちいち面倒だからとまとめて行うことに何の意味があるのでしょう。誕生祝、七五三、入学祝、卒業祝い、成人式、就職祝い、昇任祝い、栄転祝い、結婚式、新築祝い、還暦、古希などお祝い事もいろいろありますが、あまりまとめてやるというのは聞いたことがありません。
日にちが近くても、クリスマスと正月を一緒にすることはまずないでしょう。初七日も同じです。葬儀当日にする法話は、喪主の方はほとんど覚えておられませんが、初七日は少し心に余裕が出来て、しっかりと聞かれます。そんな機会をなくしてしまう風潮は悲しいことです。当山は可能な限り七日ごとのお勤めをするようお勧めしています。