2017年12月26日火曜日

寺院は消滅すればいいという意見

お寺の側に立つと寺院は消滅してはいけないという思いが根底にあり、その方向で考えを構築しているのですが、外から見た場合は必ずしもそうではないことに気が付きます。
例えばお布施が高額になるのは、寺院の維持管理に費用がかかるからということと、住職家族も食べていかなければならないからということになります。寺院数と店舗数が近いのでよく比較されるのがコンビニです。オーナー店長がコンビニの建物の維持管理費や人件費が高騰しているので値段を上げますと言えば客が離れていくでしょう。檀家にはお寺を護る義務があるといっても、檀家制度自体が崩壊して来つつありますので、その理屈は間もなく通らなくなると思います。
家制度の崩壊はそのまま檀家制度の崩壊につながります。都会で僧侶派遣が活躍しているのは檀家制度が崩壊し、葬儀も家単位ではなく個人単位になっているからです。お寺も資本主義社会の土俵の上に乗っていますから、需要と供給の原則は当てはまります。信仰という特殊性はありますが、いままで僧侶が信仰第一の対応をしていなかったので、今更そこに頼るのは無理があります。
予測通り人口減少が推移すれば、確実にお寺は淘汰されます。残ったお寺は安泰かと言いますとそういうわけにはいかないでしょう。お布施の額もますます下がると思いますが、いつまでも下がり続けるわけではなく適正なところで折り合いがつくと思います。本堂も維持管理が大変な伽藍から形態が変わって行くと思います。今の仏具や荘厳類、法衣は値段が高すぎます。これらを維持していくのもお布施が高くなる要因の一つでしょう。取り巻くすべての産業界も変わっていくと思います。それを見るのも興味深いことです。

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