2017年2月27日月曜日

人生は悩みのデパートです

hasunohaの回答僧に登録してから10日間が過ぎました。今までの回答数が20になりました。一日に平均2回回答していることになります。皆さん真剣な悩みを相談されていますので、こちらも真剣にならざるを得ませんし、あとに残るものですからあやふやな回答は出来ません。回答に対して責任を持たなければなりません。

総回答数が28,550件ですから、すごい数です。おそらく質問も一万件は下らないでしょう。過去の質問を見ると同じような質問がありますが、質問者の年齢や性別、職業、家族構成などが違いますし、それぞれの経験や性格、考え方も違いますので、回答する方も質問文からそのあたりを考えながら回答する必要があります。

宗教年鑑によると仏教の主な宗派に在籍する僧侶は、約9万2千人と言われていますので、hasunohaに登録している僧侶は、0.2%ということになります。もう少し回答僧が多くなれば、質問制限をしなくていいのになあと思います。

このたび10日間ではあれ、回答して見て思うことがあります。回答することによって自分という人間がよくわかります。反省すべき点が多くあることがわかりました。また、自分では回答出来ない質問もたくさんあります。他宗派の教義や作法のことは全くわかりません。女性固有の問題も答えられません。さらに自分の経験から導き出すことの出来ない深刻な相談にも答えられません。

Hasunohaに回答僧としてログインすると、まだ回答のないものの一覧が見えます。その中から自分が回答出来そうなものを選びますが、ほぼその日のうちに回答ゼロが無くなります。すごいことだと思いました。どんな難問であっても自分の視点で回答する僧侶がいるのです。思わず有難しをクリックしました。当分は抜けられそうにありません。
 

2017年2月26日日曜日

お寺と神社


世の中にはお寺と神社の違いがよくわからないという人もおられるようですが、今日は鳥取因幡組第9期連研の11回目が河原町の円浄寺さんで行なわれました。ほとんど毎期会所を引き受けていただき、毎回テーマの違う講師を引き受けていただいています。今回のテーマは、お寺と神社の両方を信じてはだめなのですかというものでした。

お寺と神社は色々なことが違いますが、代表的なものに教義があるかどうかということがあります。簡単に言えば教えの道しるべがあるかどうかということです。お寺はお釈迦様が説かれた説かれた「四諦・八正道」という教えがあります。諸行無常とか四苦八苦とか煩悩、涅槃などの教えも全てこの中に入っています。しかし神道にはそういう教えはありません。神道は森羅万象を神として、恐れ、敬い、感謝する宗教であると言えます。神が嫌がるものを穢れと言い排除しようとします。また穢れを除くために禊という儀式をすることもあります。禊の代表的なものとして水で洗い流すとか塩で清めるなどがあります。

また、神社にはおみくじがあり、それで吉兆を占うことがあります。また合格祈願、交通安全など祈祷によって願いを叶えたり、災難を避けたりすることもありますが、神社によっては効果は保証しませんという注意書きがあるそうです。効果が無かったらクレームを入れる人があるのでしょうか。昔は当たるも八卦当たらぬも八卦といって、そんなことを問題にする人はいませんでした。

遊び感覚で占うことには問題はありませんが、占い師に洗脳されたタレントがいたように、すべてを占いの結果に依存してしまって自分の意思がなくなってしまうのは問題です。

仏教は心の中の問題に対し、結果から原因を探り、原因を解消して行くという方法を取ります。解消する方法がない場合には、自分自身がそれを受け入れる努力をするということです。浄土真宗の親鸞聖人は神祇不拝という立場をとられ、阿弥陀如来一仏に帰依する道を選ばれました。
 

2017年2月25日土曜日

お念仏の声

今夜、六七日の逮夜勤めに伺いました。二七日までは声がほとんど聞こえませんでしたが、逮夜を迎えるごとに声が聞こえるようになり、音程もしっかりしてきたのがわかりました。今夜のお勤めでは、音の長さも音程もバッチリでした。毎週通った甲斐があります。

大体男性より女性の方が声に出して読まれます。日常的に慣れていないことなのですが、お経を読むということに関しては女性の方が抵抗がないようです。男性は普段やっていない事には、抵抗があるようです。普段やっていることであれば、自分の実力がわかっていますから、どの程度やれるかがわかります。未知のことに関しては、女性の方が素直で大胆です。男性はどちらかというと引っ込み思案で小心です。

実は私も僧侶になってからも、大きな声で念仏を称えることが出来ませんでした。どちらかというと周りを気にしながら割に小さめな声で念仏を称えていました。それが変わってきたのは、堂々と大きな声で念仏を称えている人に遇ったからです。その姿を見て美しいと思いました。こういう風に見えるのだったら私も大きな声で自信を持ってお念仏しようと思いました。

何事でもそうですが、やはりどの世界にも先生が必要なようです。自分が尊敬できる先生を見つけて、素直に学ぶことが大事ですね。


2017年2月24日金曜日

尾崎翠フォーラム祝賀会

「尾崎翠を読む」という三冊の本が、鳥取県出版記念賞の中の影井賞を受賞したことを祝う会が開催され、尾崎翠の親族として参加して来ました。この本は尾崎翠フォーラムが毎年行った15回のフォーラムを集大成したものです。私も10回目と15回目で講演していますので、講演記録としてこの本の中に載っています。

今日はファーラムを実際に運営して来られた方が11名と親族が3名参加しました。参加者が自己紹介を兼ねて、ここまでの感想やら現状を報告しながら懇親を深めるという形で進行しました。尾崎翠に強い思いを持っている方々ですから、話し始めると止まりません。一人10分はザラです。内容も多岐に亘り15年間前の話しから、これからどういう活動をやって行こうとしているのかまで様々でした。共通しているのは、いつもなら7月のフォーラムに向けあれやこれや準備をしている時期なのに、それが無くて寂しいとか気が抜けているというようなことでした。 

長年続けていた大きなイベントが無くなるのは、周りの人にとっても寂しいことですが当事者はもっとだと思います。一気に年をとられたように感じたのは、年齢のせいだけではないようです。若い世代にバトンタッチしたいという思いはあるようですが、これだけの情熱を持ってやって行くというのは難しいことです。 

尾崎翠フォーラムに限らず、地方で起こった文化活動が消えてしまうことは良くあります。私たちが行なっていた人形劇団こうま座の活動もそうです。まだ完全に消えてしまったわけではありませんが、舞台や人形、小道具、大道具などを保管させてもらっていた公民館が取り壊されるらしく、荷物をどこかに搬出しなければならなくなります。拠点が無くなると再活動も難しくなります。 

尾崎翠に関しては、2020年が五十回忌にあたります。養源寺で法要を勤めることになりますが、その時までに新しい活動が生まれると良いですね。フォーラムの皆さん16年間ありがとうございました。

 
 

2017年2月23日木曜日

両想いの友情は半分

自分があの人は友達だ思っている人の半数はあなたを友達だとは思っていないという調査結果があります。9万2千人を対象とした調査では、友情が両想いである割合は34%~53%という結果が出ています。その他の調査でも半分程度という結果が出ていますので、間違いはないようです。 

これは少し意外でした。90%台くらいは行くのだろうと思っていました。この結果に従うと私が友人だと思っている人の半分は私を友人だと思っていないということになります。逆に私は友人だと思っていないが、相手は私を友人だと思っている人が半分いるということになります。これに似たことを年賀状で感じます。この人には年賀状を出さなければならないという人からは、半分くらいしか年賀状が来ず、この人には出さないでいいだろうと思った人から年賀状が来ることが多いのです。 

友人の定義を考えたことはないですが、友情の研究をしているロナルド・シャープ教授によりますと友人とは「相手を理解するために時間を割き、自分を理解させることに時間をさける人々」と定義しているそうです。研究によると、強い共感や親しみを持ち、日常的に親密な関係を持っている人は家族を除くと4人ほどだそうです。それ以外の人は友人と知人の間をさまよっているそうです。 

誰が自分のために時間を割いてくれて、誰が自分の気持ちを豊かにしてくれ、誰が自分を恋しく思ってくれて、自分が恋しく思うのは誰なのかということを見直すことが、今後の人生にとって大切になりそうです。
 

2017年2月22日水曜日

三つ子の魂百までもはウソ?

人は成長するにつれてモノの考え方や性格も変わってくるものですが、日本には「三つ子の魂百までも」ということわざがあります。意味はご存知の通り、三歳の子供であってもその時に身体で覚えたことは百歳まで変わらないということです。魂というのはその人を作っている中心的な考えとか性格のようなものだと思いますので、変わらないだろうなあと漠然と納得していました。 

ところがそうではないということをイギリス心理学会が63年間にわたる研究の結果として発表しました。63年間もかけてどういう風に検証したんだろうと思いました。

1950年、研究者らはスコットランドに住む14歳の少年少女1208人に自分の性格についてのアンケートを取りました。アンケートは自信・根気・気分の安定性・独創性・誠実さ・学習意欲という6つの要素が評価されるもので、これら6つの要素は最終的に「信頼性」の評価を作りだすものと考えられています。そして当時の被験者らが77歳になった際に、再びアンケートを実施。1208人の被験者のうち、居所を特定できたのは635人で、そのうち174人がアンケートに参加することに同意したとのことです。

174人の被験者らは1950年当時に行われたアンケートと同じ質問に回答するとともに、被験者らの家族や友人にも被験者に関する同様のアンケートが取られました。すると、63年前に実施されたアンケート結果と重複する部分がほとんどないことが判明しました。研究者らは、過去の短いスパンの研究結果から、「63年の時を経ても人の性格には共通した部分があるだろう」と仮説を立てていたのですが、仮説が裏切られる形になったわけです。10年・20年では過去と現在で人の性格に共通する部分があっても、スパンが長くなると両者の関係性はほぼなくなるようです。 

仏教では諸法無我といっていつまでも変わらずにいる自分というものはないという立場に立っていますが、この結果はそれを裏付ける形になったようです。
 
 

 

 

 

 

2017年2月21日火曜日

内視鏡検査に立ち会いました

叔母(満93才)の内視鏡検査に立ち会いました。何度目かのトライでやっと検査が出来ました。問題は検査当日に飲む2リットルの下剤が飲めない事でした。水を飲むと噎せるので普段からお茶にもとろみをつけて飲んでいます。とろみをつけた水溶性の下剤を2リットル一度に飲むのは無理だということで、三日に分けて飲むことになりました。今日は内視鏡室に来てから3/3回目を飲みました。

歳を重ねると検査するだけでも大変です。昨年夏の乳房切除のための入院、年末の血糖値コントロールのための入院に続き、続けて三回病院にお世話になっています。そしてその度に施設のヘルパーさんにもお世話になっています。私は立ち会ったと言っても、何もする事はありません。多分家族の同意が必要な時のためにいるのでしょう。

検査が必要な方がたくさんおられて、日程を確保するのも大変なようです。腸の中に腫瘍のようなものがあるということですが、それが何かということを調べると同時に、腸の塞がり具合によっては腸閉塞を防ぐ施術が必要な場合もあるようです。医療技術は日々進化していますが、高齢になると体への負担も大きくなるようです。
 
検査も無事終わり、内視鏡で見した写真を見せてもらいました。腸の内壁に腫瘍がありました。悪性かどうかはまだわかりませんが、腸の通り道が細くなっています。明日は外科の先生と今後について相談します。検査結果は、一週間後に聞くことになると思います。