2016年11月6日日曜日

お寺で七五三はビックリですか?


今日は午前中に本堂で初参式と七五三のお勤めをしました。初参式と言うのは、生まれて初めてお寺にお参りするのを祝って行う仏事です。特に何歳と言うことはありませんが、赤ちゃんの時にお勤めすることが多くなっています。次第は京都西本願寺でお勤めされるものに習っています。

七五三については、特に決まった次第があるわけではありませんが、ここまで無事に育ったことを感謝し仏様に奉告するお勤めです。この度は一才の女の子の初参式と三才と七才の男の子の七五三をお勤めしました。お寺での行事と言うと葬儀や法事というイメージがありますが、他にも成人式や結婚式はもちろん、還暦や古稀、喜寿のお祝いなどもお勤めします。

人生の節目にあたり仏様に感謝の気持ちを奉告するという意味合いがあります。歴史的に見るとお寺と神社が一体であったことから、どちらにも慶弔の行事が組み込まれており、特にどっちでやらなければならないということはありませんでした。それがいつの間にか住み分けが進み、専門化して行ったものと考えられます。

仏事の○回忌や神事の厄払いなど、年数や年齢に関係した行事がたくさんありますが、何故何年とか何故何歳ということで調べて見ても、納得の行く答えは見つかりません。色んな説がありますし後から付け足されたと思われるようなものもあります。

いずれにしても年齢や年数で風習とか仕来りを決めておかないと、その行事自体が廃れてしまうということでしょうか。最近はやり始めた行事にハロウィンや恵方巻きがありますが、正月のしめ飾りは一時ほどではなくなりましたし、バレンタインも静かになりました。

商業ベースで流行ったものは、ブームが終わると大人しくなるようです。商売のためには、次のブームを巻き起こさなければなりません。次は何が来るのでしょうか。楽しみです。

2016年11月5日土曜日

四十九日法要

今日は午前中、やずブータン村まつりの会場つくりの一部と、音響設定を手伝って来ました。午後からは60代で亡くなられた医師の四十九日の法要でした。私とあまり年が違わない方でしたので、死を身近に感じました。

今までに葬儀を勤めたのは二百回は超えると思いますが、若いときは差定通りにやるのが精一杯でした。どうすれば印象的な葬儀になるのか工夫した時期もありました。声の出し方を練習したこともあります。お経より法話に力を入れた時もありました。

最近は力みが無くなりました。自然体で出来るようになりました。今までは葬儀の構成を考えたりしていましたが、今は何も考えないで臨んでいます。法話の内容も事前準備はナシです。

その人を思い浮かべながら、頭に浮かんだことを話すようにしています。そうすると自分でも思いがけない言葉が出て来ます。まさに自分が話しているのではなく、体を借り物として話しているような感じがします。

今日はお浄土の話しをしました。人は西方にある阿弥陀如来の浄土で仏になります。仏になって娑婆で必要としている方のために舞い戻り、正しい方向に導きます。それは目に見える形ではなく、ふとした考えや思いとなって届きます。人間の能力では図り知ることの出来ない力です。それを本願力と言います。

2016年11月4日金曜日

ブロガリからの移行

今までブログとして利用していたブロガリは、あと3ヶ月弱で廃止となるので今月から並行して移行することにしました。エクスポート機能を利用して文章だけでも一括移行しようかと思いましたが、ハードルが高くあきらめました。

いろいろ苦労されて移行しておられる方もありますが、その労力よりゆっくりと順次移行させた方がストレスが溜まりません。絶対に残したいほどの文章でもありませんので、必要があれば自分のバックアップを見れば済むことです。ゼロから始める方が面白いと思います。

コマーシャルが入るのは嫌なので、グーグルが運営しているbloggerを利用することにしました。今月から12月までは両方に載せることにします。来年からは院家日記Ⅱだけにして、院家日記は更新を停止します。

全てのものに始まりと終わりがあるのですから、bloggerもいずれ廃止になるでしょう。それは間もなくかもわかりませんが、それで構いません。もっとずっとという気持ちがわからないではありませんが、それが執着で煩悩の代表的なものです。そう願うことがいつのまにか苦しみを作っており、ストレスにつながります。

形あるものは常に変化し、いのちあるものはいつか消えるというブッダが発見された真理を素直に学びたいものです。

2016年11月3日木曜日

血糖値500オーバー

昨日から叔母が元気がないということで、かかりつけ医に行って血糖値検査をしてもらったところ、555というとんでもない数値でした。血糖値をコントロールするために入院したほうがいいということになり、本人に確認したところ急に意識がはっきりして、入院はしたくないということで今朝まで様子を見ました。

少し熱があるということで病院に行ったところ、意識の混濁があるのでこのまま入院して下さいということになりました。診断の結果病名は非ケトン性高浸透圧症候群ということでした。この病気は、糖尿病の代謝性合併症で、高血糖、極度の脱水、血漿高浸透圧および意識障害を特徴としています。

直接の原因は分かりませんが、糖尿病から来ていることは確かです。進行すれば命にかかわることもあり、病院で適切な治療が必要です。点滴で水分を補給するとともに、脱水状態を改善するための治療が行われます。

2週間ほど入院して血糖値のコントロールをしますということですが、一方でもう92歳の高齢ですから、不測の事態が起こることも可能性として認識しておいて下さいと医師から言われました。7月の手術も乗り越えましたので、今回も無事乗り越えることを念じています。

2016年11月2日水曜日

生き残るお寺

いよいよ冬が近くなってきたということで、灯油を買いに行く準備をしていました。通りがかった近郊の他宗のお寺さんと立ち話をしました。やっぱり話題は、これからのお寺の未来をどうするかということでした。

何億という寄付を集められる寺院がある中で、10万円の寄付に対しても檀家さんから怒られる寺院があります。多様ですがお寺の寄付集めが難しい時代になりました。私のところは寄付の依頼額を決めたり、寄付の強制はしていませんが、必要な事業に対しては予算を立てて試算してみたりはします。

お寺で費用がかかるものには、新築や増改築、大修理などの建築関連費用と住職継職など特別な法要があります。普段から積み立てておけばいいのですが、積立金が足りない場合などは寄付を募ることになります。

私のところも数年後には住職継職法要を勤めますので、今から積み立てをしておかなければなりません。積み立てのもとになるのは、お布施です。お布施はお寺を存続させるために門信徒の方々が出される寄付のようなものです。決して法要のお礼や住職への謝礼ではありません。

お寺を護持していくための最低限の費用は護持会費として負担いただいています。現在は宗教法人として駐車場を購入したり納骨堂を建設した時の借入金が残っていますので、来年より住職や坊守の給与をゼロにして返済に回そうと思っています。

高齢社会になり年金暮らしの門徒さんが多くなっていますので、昔のように寄付をお願いすることは難しくなるでしょう。また、葬儀に関しても規模を小さくし、簡素化したものが好まれるようになると思います。そうなればお寺での通夜・葬儀も選択肢の中に入って来ると思います。今のうちにその環境を整えておくことが必要です。

お墓もいらなくなる時代が来るでしょう。大きな墓地を持っておられるお寺は、空いた墓地をどうするか今から考えておく必要があると思います。先が見えなくとも、予測できることには対応しておかなければならない時代となりました。

2016年11月1日火曜日

本:ブッダと法然

新潮新書の「ブッダと法然」を読んでいます。両者を比較しながらそれぞれの人物像に迫って行こうという手法ですが、読みやすくわかりやすい本です。法然上人の出家の動機は、父の菩提を弔い、自らは己の解脱のつとめるということにあったようですが、15歳という若さでした。

純粋に仏道を追い求める法然にとって、比叡山の表舞台は自分たちの名誉栄達にうつつを抜かす俗世と同じでした。そこで18歳で真に道心あるものが集う比叡山の裏舞台、西塔の黒谷に再出家しました。法然は18歳で遁世してから43歳で回心するまで25年の長きにわたり黒谷で引きこもりの生活を続けました。

法然は自己洞察の厳しい人であり、自分自身が持つ悪の存在に驚愕し嫌悪感を持っていました。自力でさとる従来の聖道門では自分が解脱出来ないことを自覚していました。「三学非器」と言われた所以です。戒・定・慧の三学は全体で仏教の修道大系を表しています。

あるとき経蔵で善導の「観経疏」を読んでいると「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近念念不捨者是名正定之業 順彼佛願故」(一心にもっぱら阿弥陀仏の名号を称えて、何時いかなることをしていても、時間の長短にかかわらず、常に称え続けてやめないこと、これを正定の業というのである。それは阿弥陀仏の本願の意趣に適っているからである)という一文に出会って回心したのです。その後、夢での善導との邂逅、大原の勝林院での有名な大原問答での勝利によって浄土宗が世の中に認められたのでした。