2016年11月5日土曜日

四十九日法要

今日は午前中、やずブータン村まつりの会場つくりの一部と、音響設定を手伝って来ました。午後からは60代で亡くなられた医師の四十九日の法要でした。私とあまり年が違わない方でしたので、死を身近に感じました。

今までに葬儀を勤めたのは二百回は超えると思いますが、若いときは差定通りにやるのが精一杯でした。どうすれば印象的な葬儀になるのか工夫した時期もありました。声の出し方を練習したこともあります。お経より法話に力を入れた時もありました。

最近は力みが無くなりました。自然体で出来るようになりました。今までは葬儀の構成を考えたりしていましたが、今は何も考えないで臨んでいます。法話の内容も事前準備はナシです。

その人を思い浮かべながら、頭に浮かんだことを話すようにしています。そうすると自分でも思いがけない言葉が出て来ます。まさに自分が話しているのではなく、体を借り物として話しているような感じがします。

今日はお浄土の話しをしました。人は西方にある阿弥陀如来の浄土で仏になります。仏になって娑婆で必要としている方のために舞い戻り、正しい方向に導きます。それは目に見える形ではなく、ふとした考えや思いとなって届きます。人間の能力では図り知ることの出来ない力です。それを本願力と言います。

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