2016年11月14日月曜日

人工知能と僧侶

今日は暖房のいらない暖かい日でしたが、夕方から雨となり気温が下がって来ました。
インターネット彼岸寺というサイトに人工知能と仏教というタイトルで、投稿されている方がありました。以前、松本紹圭さんが書かれていましたがそれに触発されてのことでしょうか?


人口知能に任せられる領域が増えて、いずれは多くの仕事が人工知能に取って代わられるということは言われており、具体的に職種が上げられています。このたびの投稿では、それを一歩進めてブッダの言葉を元にした7千もの経典をAIに読み込ませ、人々の苦に対応させて行けば僧侶は必要なくなるかも知れないというものです。

確かに僧侶はブッダの言葉を全部把握しているわけではありませんし、不完全な形で理解していることも多いと思います。その面ではAIの方が勝るかも知れません。ただし人の経験は、言葉では表せないものもたくさんあります。胸が熱くなるとか胸に染みるとか胸にジーンと来たというような言葉は、実際に体験しないとわからないことです。

そしてその体験も100人いれば100通りの体験があります。ですから70億人いれば70億の体験があるわけで、中には本人でさえ忘れた体験もあります。それにすべて対応しようと思えば時間とデータが足りないと思います。

人間の場合はそれをバッサリと切り捨て、適当なところで答えを出すことが出来ます。いい加減なことの出来るコンピュータがあればいいのですが、それはコンピュータとは言えないでしょう。ということで、不完全な人間に不完全な形で対応できるのは、人間しかないと思うのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿