2016年11月17日木曜日

お寺を何故残すのか

 
27年くらい昔のことになりますが、NHKで寺が消えるというドキュメンタリーが放送されました。島根県の浄土真宗のお寺のことでした。檀家が減り住職も高齢となり誰も寺を継ぐものがいないという状態で消えていきました。今は過疎化がさらに進み、20%のお寺が住職不在です。

これからもお寺は少なくなって行くでしょう。日常的にはお寺がなくても困りません。葬儀は葬儀社がやってくれますし、僧侶はアマゾンで見つけることが可能になりました。法事を手掛ける葬儀社もありますので、寺の本堂がなくても困ることはありません。

葬儀と法事だけならお寺がなくても構いません。ではなぜお寺を残す必要があるのでしょうか。それは人間を根本的な苦から救えるのは、仏教しかないからです。何のために生まれて来たのかを納得させる答えを導き出せるのは宗教しかないからです。

どんなにお金があっても、どんなに社会的経験を積んでも死を免れることは出来ませんし、死んだらどうなるのかを知ることは出来ません。前を向くだけでは生きられないと感じたときに、仏教が必要になります。その時のためにお寺を残して置かなければならないのです。

若い人がお寺に参らないと言われますが、前だけを向いて生きていけるときは無理に参らなくてもいいと思います。壁にぶつかったり、人が信じられなくなったり、生きていくのがつらくなった時に門を叩けばいいと思います。

そのためにはお寺の側も、訪ねて行きやすい環境にしておく必要があります。せめて在寺しているときは戸を開いていて欲しいですね。

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