2016年11月27日日曜日

悪人正機 第9期連研⑧

 

鳥取因幡組の連研も佳境に入り、浄土真宗の教えのかなめを勉強しています。今日のテーマは悪人正機です。正機というのはめあてのことですから、悪人が対象の教えということになります。なんやら物騒ですが、悪人というのは法律上や道徳上の悪人ではありません。

仏教では生きとし生けるものの命は平等であると説いています。そうであるならば、他のものの命を奪うということは許されないことですが、私が生き続けて行くためには、牛や豚、魚などの肉を食べたり米や野菜などを摂取しなければ生きて行けません。これらも全て命があります。つまり私たちは自分が生き続けるためには、他のものの命を奪わなければならないということになります。

これは一つの例ですが、気づかないままに仏教で悪といわれていることを行なっているのです。自分の命と他の命のどちらか一つを選べといわれたら、自分の命を優先するということです。自己中心的な生き物であるということです。本能のようなものです。これを根源的な悪と捉えます。

しかし世の中には自分の命より優先して他の命を救いたいという場合があります。代表的なのは我が子に対する母親の愛です。しかしこれさえ我が子という範疇に限定されるのです。愛というのは独占的な一面があります。仏教の慈悲は無条件です。

阿弥陀仏は、自己中心的な生き方をしているものも等しく救うという誓いのもとに仏に成られていますので、そこに分け隔てはありません。むしろ「わかっちゃいるけど止められない」という凡夫こそ救うよとおっしやっています。もう自分ではどうしょうもないと悪あがきを止めた瞬間に救いが実感出来るのでしょう。

どこまでも投げ出さず自分で何とかしようと思い続けている限り、救いの手が差し伸べられていることに気付かないのです。これが悪人が目当てだと言われている故だと思います。

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