葬儀社に入っておかしいと感じたことの一つに、葬儀社の社員が、お寺さんに必要以上に気をつかっていることだそうです。そしてそういう接し方にお寺さんが慣れてしまって、自分が偉くなったように勘違いしているというものです。
具体的な例としては、車から降りたときに、社員は当たり前にカバン持ちをし、雨が降っていれば傘を差しかけるというのです。ある時その方がいつものようにお寺さんの差し出すカバン二つを持っていたところに、おそらく参列者であろうおばあさんが、重そうな供物を持ってよたよたと歩いていたので、カバンを30代くらいの僧侶に返し、おばあさんの供物を持ってあげたというのです。カバンを持たされたことに対し、僧侶はかなり怒っていたそうですし、上司からもその行動を叱られたそうです。
その方は、僧侶がお酒飲もうがお肉食べようがギャンブルしようが若いお姉ちゃんが好きだろうがそんなの全然気にならないそうです。同じ人間だから、お寺さんも煩悩にまみれて生きて何が悪いと思っていただいているようです。
ただし、お寺さんである為の資質があるとしたら、それは人としての「優しさ」であり、人を思いやる事の出来る温かい心だけは絶対持ってなきゃ僧侶を名乗る資格はないと言われています。
確かに私も葬儀社の会館に出かけて行って通夜や葬儀をするとき、社員の方に出迎えられ、カバンをお持ちしましょうかと尋ねられます。私は自分で持ちますといってお断りしています。参列者用の経本を持っており、さらに雨が降っているときなど手が足りない時はお願いすることもありますが、カバンが持てないほど年をとっているわけではないので、自分で持つことにしています。
気を遣っていただくことは有難いのですが、葬儀社の方が仕事なら、こちらも勤めですのでお互い様だと思っています。
こういうブログがあることで、普段どう見られているかがわかり、有り難いことです。
【残念ですが2月下旬に書かれた4回のブログ記事は削除されています。理由は不明です。】
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