2017年1月10日火曜日

脳科学と仏教2


昨日のつづき→目に見えたものをそのまま認識するのではなく、脳がその画像を再構成したものを事実として認識するということは、間違った情報かも知れないわけです。言い方は違いますが、仏教も脳科学も事実とは違う場合があると承知しています。再構成した時に紛れ込むものを仏教では煩悩と言っています。脳科学では補正等と言っています。 

仏教では煩悩があるから物事を歪んでとらえると言います。煩悩の代表的なものを無明と言います。無明とは物事を正しく判断できないことを言います。なぜできないかと言いますと、自分中心にしかものごとを見ることが出来ないからです。つまり自分にとって得か損かということが判断の基準になっているからです。そしてそれが苦の原因であると考えます。 

科学では人間が自分中心になるのは、仕方ないことだと考えています。すべては自分の脳で作り出している世界であるからです。自分に都合の良いように作り直しているのです。自己保存の本能が最優先となりますので、自分が生きていくのに都合のいいように受け手のレベルで作り変えるわけです。 

仏教では苦の原因を取り除く方法として、周りを変えるのではなく自分自身を変えていくという方法を取ります。一見消極的に思えるかも知れませんが、実はこれが結構積極的でないと出来ないことなのです。自分を変えるというのは、覚悟のいることなのです。明日へつづく


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