今日は、連研で「み教えと差別」の課題を話し合いました。学校で職場で地域で今まで十分話し合ってきた課題ですが、お寺での話し合いになるとまた雰囲気が違います。
どこの班も問題提起後の1時間の話し合いでは物足りなかったようです。その理由は、お寺で話すと本音で語り合うことが出来るからなのだとわかりました。少なくとも学校、職場、地域のように、人の目を気にすることなく話すことが出来るようです。これも悪人正機の力なのかも知れません。
昨夜11時の臨終勤行に続いて、今日は納棺勤行と通夜勤行がありますので、午後は連研を早退して通夜の準備を行ないました。故人は私と三歳違いの急逝された理髪師でした。いろんなことの相談にお寺へよく来られていました。一見こわもてですが、実は自分を表現するのが不器用なだけで、根は家族思いの温かい方でした。通夜振る舞いの席でお嬢さん方に聞いたのですが、私が感じた通りのひととなりでした。
親しい人がいなくなるのは悲しくて寂しくてつらいことです。でも生れて来た以上は、いつかは往生しなければなりません。この悲しみが次世代の生きる力につながることを信じています。
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