少しの温度変化で寒いと文句を言い、暑いと文句を言うのが人間なのです。家の中は暖房があるので快適ですが、一歩外に出ると冬の寒さが染みます。寒いと愚痴が出るのは煩悩のせいだとわかっているつもりですが、どうにも止まりません。煩悩は百八つあると言いますが、その中でも一番おおもとになる煩悩は無明だと釈尊は考えられました。
無明の明とは、智慧ということですので、無明とは智慧がないことを言います。別の言い方をすると愚かさを意味します。愚かさこそが諸悪の根源であり、ラスボスです。この愚かさとは、ものごとを正しく合理的に考える力が欠如しているという致命的なものです。本当は雪があるときは着物に長靴でもいいのですが、見た目を気にするという煩悩がそうさせているのでしょう。
無明の子分に恨みという感情があります。ダンマパダには次のようにあります。『この世では、恨みが恨みによって鎮まるということは絶対にあり得ない。恨みは恨みを捨てることによって鎮まる。これは永遠の真理である。』日本の忠臣蔵では、考えられない思想ではないでしょうか。
仏教では、実は愛も無明の子分なのです。愛は始まりはきれいですが、そのうち色欲や所有欲、独占欲などの思いが強く出てきて、煩悩の側面の方が大きいのです。ダンマパダでは次のように戒めています。『割愛でがんじがらめになった人びとは、罠にかかったウサギのように這いずり回る。束縛と執着に捕らえられて、永いあいだ、繰り返し何度も何度も苦しみを受けることになる』
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