2016年12月15日木曜日

お布施の問題

 
アマゾンのお坊さん便がネットで話題になって、再びお布施の問題がクローズアップされましたが、常に話題になる事柄です。ネットでは高いお布施を要求されたとか、言葉ではいくらでも結構ですと言いながら、一度払ったお布施を、突き返されて上乗せさせられたなど悪い話しばかりが聞こえます。

少なくとも私の周りにはそんなお寺はありません。逆に実費(花代、交通費、会場費)にもならないようなお布施だったという話しは、たまに聞きます。また、アマゾンを下回るお布施は、珍しくないのが実態です。定額の方がわかりやすくていいという話しも聞きますが、お布施の意味が知られていないためだろうと思います。

どこの業界でもそうだと思いますが、1,000人に一人くらいの割合で悪徳の人がいますと、そのことばかりが独り歩きし、全体が悪印象になってしまいます。運悪くそういう人に当たったなら二度と利用しなければ良いわけです。お寺は勝手に離れることは出来ないと思っておられる方がありますが、トライして見る価値はあります。

信教の自由(宗教の自由)とは、特定の宗教を信じる自由または一般に宗教を信じない自由をいうと憲法に規定されていますし、国際規約でもすべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有すると謳われています。

お布施は寄付の一種ですから、強要されるものではありませんが、少なくともお寺を維持するだけのお布施がなければ、お寺は潰れてしまいます。潰れていいということであれば、お布施の額について話す必要はないと思います。

概念としては、潰れては困るという人が集まって作られているのが檀家ですので、檀家にはお寺を護持する義務があると考えられます。同様にお寺には檀家の人が期待する活動に応える義務があると考えられます。今はお寺に期待する活動の一番は葬儀になるでしょうから、檀家の方が安心して任せられる葬儀を執り行うことが第一義務でしょう。

早晩檀家制度は崩壊しますので、その時に地域の人々から潰れては困るお寺になっているかどうかが明暗を分けます。今の30代40代の方は生涯賃金が激減する予測が出ていますので、お寺を選ぶ目もシビアになって行くでしょう。

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