2016年12月4日日曜日

お寺は信仰の対象か?

 
昭和43年に高校を卒業したメンバーが門徒会館に集まって卒業50周年の同窓会を2年後に行なうための相談をしました。全部で15クラスあったので、20人ほどが集まりました。門徒会館を見て、いいところがあるなあと感想が漏れました。

自然とお寺の話しになり、色々あって檀家を代わったと言う話しや、親の葬儀で苦労した話しなどが出ました。この年代になると、死の話しや葬儀の話しを避ける人はいません。さすがに信仰の話しまでは出ませんでしたが、同級生に僧侶がいるということは心強いと言われました。

その心は、自分のお寺の和尚さんに聞きづらいことでも、同級生であれば本音で相談できるというものでした。やっぱりお寺は敷居が高いのだなと思いました。この世代までは、親と同じようにお寺と付き合って行くという姿勢が見えますが、自分の子どもたちにそういうことを継がせようとは思っていないようです。

消滅可能性自治体が全体の三分の一存在するという話しは、2040年のことですが、われわれの世代の半数以上が死亡する時期と重なっています。85歳になるのがあと18年後の2034年です。そこから加速度的に亡くなって行くでしょう。

人口減少が全ての産業に影響を及ぼし、寺院も消滅の危機から逃れることは出来ないと思います。檀家の視点で見ると、葬儀や法事の機会が減り、高齢化によりお盆や彼岸などの年中行事と関わる活動が出来なくなって行きます。そして寄付や護持会費などの費用負担が重くのしかかってくるようになります。

お寺から見ると檀家が減少し、経済的に苦しくなりますが、かといって兼職できるような環境にはありません。後継者選びが困難となり、総代などのなり手が無くなり、寺院としての要件を満たすことが難しい時代になるでしょう。お寺との結びつきが信仰にあると言う人は5%しかいません。95%の人はお寺が無くなっても困らないとも言えます。

信仰の問題を掘り起こさない限り、寺院消滅の根本的な問題は解決しないと思います。

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