2016年12月16日金曜日

お寺のコミュニティ化

 
次にあげられているのが、お寺を人が集まり話し合いができる場にしようということです。もともとお寺は説教を聞く場であると共に、芸能文化を楽しむ場であったり、市が立つ場であったり、勉学をする場であったり、情報発信する場であったわけです。江戸時代の寺請け制度により、檀家となりその家の法事や葬儀を受け持つことになったころから、活動の中心が葬祭関係に移行して来たようです。

もちろん現代でも地域に向けてコンサートや落語会、ヨガ教室、写経、瞑想など様々な活動をしている寺院はありますが、圧倒的に少数です。それはノウハウがないことと同時に、スタッフ不足もあげられるでしょうし、時間が取れないことも一因だと思います。お寺だけで食べていくことの出来るところは限られており、多くは兼業です。そうすると平日は仕事で、土日に法務をこなすことになります。コミュニティ化することは物理的に困難です。

自分のお寺で考えて見ても、そういう活動が出来るのは退職してからが中心です。兼業では無理、高齢化してからは無理ということになると、退職してから70代くらいまでの20年足らずが活動期間ということになります。それを無理のない形でバトンタッチして行かなければならないと思います。

収入は法務で確保し、活動は社会還元というのも一方法ですが、継続的にやって行くのであれば、活動に伴う収入があってもいいと思います。法務による収入は寺の維持管理に回し、活動自体で収支トントンになるようなことを目指すべきではないでしょうか。更には活動が収益を生むようなことになれば理想です。

答申でもお布施以外に収入の柱になるようなものを作ることが必要だとありますが、宿坊や保育園、幼稚園のような形態であれば可能かも知れませんが、収入の柱を新たに作ることは難題だと思います。ただし、小さなコミュニティを集約することで副収入の道を探ることは可能だと思います。お寺の空間、時間を利用することで収入の道を探って行きましょう。

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