2016年12月23日金曜日

仏教の本質

 
仏教の本質とは何であろうかと考えて見ました。まだまだ僧侶としては駆け出しですので、一気にそんなことがわかるとは思いませんが、何となく他者救済ではなく自己救済のものであると考えるようになりました。自力と他力、悪人正機、往生浄土などはまさにそうだと思えるのです。それと同時に自分の死(未来)を考えるようになった時に、必要となるものであると思います。

ですから現代を前向きに泳いでいる若い人には必要のないものです。無くても生きる上で支障はありません。死を意識するようになって、死が心の多くを占めるようになって来ると、自分は何のために生れて来たんだろうとか死んだらどうなるのだろうというような経験や知識では解決出来ない問題に対峙することになります。

その時仏教が役に立ち、死への不安を打ち消してくれるものだと思います。仏の世界に入るには出家が必要だといいますが、修業をする環境としてはふさわしいものであるというだけで、出家が条件というわけではありません。在家であっても妙好人のような方は他にもいらしゃいます。

仏教は万人のための教えだとは思いますが、一度に救えるのは一人だと思います。なぜなら、その人を救うためにはその人になり切るくらいでなければ救うことは出来ないからです。自己=他者になったとき、自己救済が他者救済になるのでしょう。教義的には違うかも知れませんが、何となくそんな気がします。

このままでは生きていくことが出来ないほど、不安に押し殺されそうになったときに威力を発揮するのが仏教なのでしょう。それまでは役に立たないかも知れません。邪魔になるかも知れません。仏教とは不思議なものです。


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