2017年5月5日金曜日

多死社会へのお寺の対応

多死社会とは嫌な言葉ですが、これからの30年間は、間違いなく今より多くの方が亡くなる時代となります。そこでどういうことが起こるかと言うことを想像して見ますと、お寺にとっても良いことは一つもありません。今や90歳代まで生きることは当たり前になって来ました。100歳超えも珍しくありません。私の父は85歳で亡くなりましたが、私が現役であったことから、仕事関係の参列者もそれなりにあり、一般的な葬儀を出すことが出来ました。

両親が90歳を超えますと子供も現役世代ではなくなり、参列者も限られて来ます。そういうこともあって、小規模の葬儀を家族葬という名前に代えて以来、家族葬が人気となりました。しかし、高齢化がさらに進むと、家族葬さえ困難な場合があります。例えば独身の方であったり、子供がなくパートナーが亡くなられている場合、子供が遠隔地に住んでおり日頃の付き合いがない場合など、高齢者が看取られることなく孤独死をする場合があります。高齢化が進めば進むほど、似たようなケースが増えていくと思われます。身寄りがない場合は自治体で荼毘に付し火葬しますが、宗教者を呼んで葬儀をすることはありません。

心ある葬儀社が生活保護世帯の葬儀を執り行うことはありますが、赤字を出してまで勤めることは期待出来ません。頼れるのは宗教者しかいません。お布施がないあるいは少ないからと言って葬儀を執り行わないということは許されないでしょう。
高齢者になれば年金暮らしが普通であり、毎日の生活がやっとでしょう。そういう場所で僧侶がどういうことが出来るのか考えて行く必要があると思われます。葬儀は不要と言う論もありますが、人間としての最後の節目に葬送の儀がないのはあまりにも寂しすぎる気がします。

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